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うーん

 内山節さんが語ったことだが、

「あなたは不幸ですか」と訊かれれば、

「いや、そうでもない」と

ひとは答える。

「では、あなたは幸せですか」と訊かれると

「いや、そうでもない」と言う。

なぜ、そんな世の中になってしまったのだろう。

上野村の哲学者は、資本主義経済は

つまるところ「ポジション取り」が生活の

統合軸になってしまったからだという。

じぶんのやりたいことをやる、という

至極とうぜんの生き方ではない生き方、

その教育現場の教育方針なんかは二義的で、

うではなく名のある学校に行く。

まったく興味がなくても一流会社に就職する。

そこでのやりがいは出世、

つまり座席争いである。

いわゆるポジション取りの人生だ。

 

では、やりたいこと、とはなんだろう。

やりたいことをすることが幸せなら、

やりたいことを見つければいいじゃないか。

 

が、ところが、現代人はそのやりたいことが

見つからないのである。

 

わたしはこれこそが、高度資本主義が落としていった

創痕だとおもう。

 

高度資本主義、高度文明、これは

人びとが願った至高の生活への憧憬だったはずである。

 

わが国の話ではあるが、見渡す限り安全である。

ほしいものは手に入る、調べたければ

国会図書館に行かなくても手のひらのグーグルで

なんとかなる。ライフラインは完全で、

飢餓の経験もない。夜は安眠できて、かならず

平穏な朝がくる。

 

つまり、われわれは日本という高度文明のコクーンの

なかに生きている。そのコクーンは家庭内でも

再演されていて、じぶんから進んで「なにか」しなくても

とりあえずは用が足りる。

 

不便や不満があるから森をでる、

危険きわまりないのでアフリカをでる。

外になにかありそうだからでる。

 

未規定のものに誘惑されるから

この地を離れて旅にでたのだ。

 

これが、人類の繁栄をもたらした原動力だと言われている。

それをひとは好奇心と呼ぶ。

 

なんでも机の上で用が足り、

なんだったらゲームでもしていれば一日がおわる。

 

そういう人種に好奇心がわくことはない。

 

お膳立てがしてあってどうぞお召し上がり、

ごちそう前に、いや、ちょっと外食してくる、

というひとはいないだろう。

 

ピーター・ティールというひとは、

ひとの幸福はドラッグとゲームの

脳内コントロールで幸福になると言っているらしいが、

これは、この現状を逆手にとった幸福論である。

 

きみが不幸なのは飲んでいる薬がわるいんだよ、

やっているゲームがつまらないからだよ、

という図式である。ほんとかい。

 

わたしたちはおおむね、この領域の中で

最大限の利得を得ることに集中し、

適応能力だけを発揮し、

そこから出ようとはしない。

いわゆるコスト・パフォーマンスである。

 

コスパというのは、

既得権益のなかの最大限の利得の追究しかなく、

そこにはフレームワーク内でのささやかな考量で、

けして外の世界や言葉の外側にむけての

創造性ではない。

 

むしろ、この場から出たら危険きわまりないかもしれないじゃないか。

 

なんにもないかもしれないけれど、

このぬるま湯のなかに浸っていますよ、

というひとが多いのだ。

 

だってそこそこ暮らせるじゃん。

 

 

これを最大限に容認する言葉が「マクシミン」である。

リスクマネージメントを考量する意味だ。

 

しかし、わたしはこの「マクシミン」は負のマクシミンだとおもう。

 

正のマクシミンとは、マックスウェバーの言うような

「世俗的禁欲」だとおもう。

 

「いいんだよ、まんじゅう50個売れば暮らせるから」

これが世俗内禁欲である。

 

いつも売れているんだから、もっと作ってもっと

儲ければいいじゃん。

 

「いいんだよ、このくらいで」

 

たぶん、こういう人生のほうが幸福を

実地で味わっているのじゃないかとおもうのだ。

 

資本主義の渦中にいてポジョン取りに躍起になっていた

ひとたちは、じつは「作る」ということをネグレクトしてきた。

 

楽しみを作る、趣味を作る、コミュニティを作る。

夢を作る。

 

すべて意識外であった。

 

だから、定年を迎え社会の支配から解放された瞬間、

なにをしていいかわからなくなるのである。茫然とする。

 

わたしは、いまも高校生を目の当たりに見ている。

 

その若者に訊く。

 

趣味は? うーんゲームかな。

夢は? うーん。

好奇心とかある? うーん、ないかも。

 

まさに、いまの若者が捨ててきたものは、

人類を繁栄させてきた、動機づけを起爆させてきた

中枢のものだらけだったのだ。

 

便利という悪魔は滅亡を志向しているのではないか。

 

だから、結果はわかっていてもわたしは高校生に訊くのである。

 

「いま不幸ですか」「いや」

「じゃあ、幸せですか」「うーん」