わたしの家は夫婦とも働く核家族だったから、
わたしは、とくべつに3歳くらいから幼稚園に抛りこまれた。
母は、わたしを健康に、大きくさせようとしたのか、
いつも持って行かせる弁当はひとの倍くらいの量であった。
残さず食べろというしつけだから、
わたしは、その弁当をいつも平らげた。が、
キャパシティというものはだれにもあり、
わたしは、日々、流しで吐いた。
嘔吐は日課となっていたのだ。
送迎バスがきて、わたしはそれに乗りこみ、
空いている席に座ろうとしたら、
となりの女の子に「あんた汚いから座らないで」といわれた。
いつも吐いている姿を知っていてそう言ったのだろう。
たぶん、わたしは半べそをかいたのだろう。
その記憶はもうない。
小学校にあがり、しきたりのように誕生パーティーがある。
わたしの誕生会も10月にあった。
小学校一年生のときだ。
十数人の仲のいい男女に来てもらって、
わが家の八畳間に、ケーキやお菓子やジュースがならぶ。
しばらく和気あいあいの場がつづき、
わたしが台所に行ってもどったとき、
愕然とした。
いままで、仲良く座ってた、その十数人の
わたしに祝意を表しにきたはずの子たちが、
人っ子一人、いなくなっていたのだ。
みんな、いっせいに帰ってしまったのだろうか。
なぜ、じぶんひとりだけ
取り残されたのだろうか。
空虚な喪失感が体躯をかけまわった。
じつは、このとき東京の空に自衛隊が演出した
飛行機雲でつくった五輪の輪が浮かんでいたのである。
それを一年生の男女が、
外にそれを見に行っていただけなのだ。
だから、しばらくして
みんなは、どかどかと戻ってきて
また、おんなじ場所に座り、
誕生会は、おんなじように繰り広げられたのである。
が、そのときの「おいてきぼり」の気持ちは、
きっといまも
酸が侵食するように
わたしの人格にこびりついているのだとおもう。
にんげんは、
じぶんの関心、興味、利害のためには、
友だちをおきざりにすることなどあたりまえなのだ、
そういう世の中の掟を、三歳のころや、
六歳のころの、いわゆる幼児体験のうちに
しっかりと畳み込んでしまっているから、
わたしは、いまの歳になって、
ひとからうらぎられたり
だまされたりすることに、はげしい憤りを感じることが
できなくなってしまっているようである。
え、だまされたの?
うん、ひとってそんなもんでしょ、
と、けりをつけてしまうのである。
とにかく、母がわたしを健康に育てようとしたことは、
いまのわたしの、精神でなく、肉体の方面におよんでおり、
だから、ずっとわたしは肥満のままなのである。