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店舗案内

時代に乗り遅れぬよう

もう30年も前のことである。

 

わたしが青葉台で授業をしていたとき、

昼過ぎだったものだから、男子生徒に尋ねた。

 

「おまえ、きょう昼何食べたの」

 

と、かれは、「すたば!」と言った。

 

「・・」

わたしは、「すたば」と聞いて

いっしゅん「すた場」しか去来しなかったが、

さすがに、これがスターバックスであることに気付く。

 

 

 しかし、当時はスターバックスは出来立てのほやほや、

まだ「スタバ」が

人口にカイシャしていなかったときである。

 

 だから、わたしは「すたば」を「すた場」と、

なにかどこかの場所だと勘違いしたのである、

ほんの刹那的なあいだだけ。

 

「おい、おれに省略するなよ、わかんないじゃん。

スターバックスだろ?  ん。わかった、

それでなに食べたのよ」

 

スターバックスという店は、

入り口のも出口もはっきりしない、

「あやふやな店舗」という印象が

当時はぬぐいきれなかった。

 

おまけに、あそこは、コーヒーを出すところで、

食事処としてわたしは認知していなかった。

 

生徒は「ベーグル!」と答えた。

 

「ん。ベーグル?  あのな、省略されたら

わからないよ」と、わたしがもうしあげたら、

教室ががやがやとした。

 

「せんせい、それ省略じゃありません」

 

「え!」

 

 

つまり、わたしの知らないところで、

わたしのすぐ足元で、

わたしの知らない食品が

じわじわと接近、侵食している、ということなのか。

 

わたしは、ほんの少しのカルチちゃーショックに

狼狽したのだ。

 

時代はおもわぬ速さで進行している。

時代はかわりつつあるのだ。

 

 

「ベーグルという食べ物があるの?」

と、わたしは70人くらいいる教室から、

うなずく姿をみた。

 

 ベーグル、それははたしてどんな食品なのか。

わたしは、その日、休み時間を利用して、

駅前まであるき、

そのベーグルとやらを試したのである。

 

 

 これは、好奇のこころと、

生徒とのコミュケーションの延長とでもあった。

 

 

 もちろん、はじめての経験である。

 ベーグルというシロモノは、

真ん中のへこんだパンで、その中にミリ単位の

薄いサーモンが挟まっている

やけにもこもこしたものだった。

 

 ちょうど痔の座布団のようなカタチである。

 

わたしは口のなかのほとんどの

水分を取られながら、なんだか味もそっけもない、

座布団を食した。

 

 

 あれから、25年。スタバで食事をしたことがない。

が、このあいだ、鷺沼のアヤコから、

「スタバの『サラダラップメキシカンアボカド』がおいしいよ」

と言われたので、あんまり気乗りがしなかったが、

ふんふん、聞いていた。

授業中にこんな話ができるのも

少人数性のいいところである。

(ほんとかな?)

 

わたしは、アヤコが一人っ子だというので、

ちがうだろ、下にいたろ?

と、言ったら、きゅうに真顔になって、

なんで知ってるの? お母さん言っていたよ。

ほんとに小さいときだって。

 

なんて、話をしたことのある子で、

「その子、男の子だったよ」と教えてあげた

ことがあったが、鷺沼の生徒たちは、

明るくていいのだが、調子にのりすぎるきらいのある

クラスである。

 

 生徒から、「スタバのサラダラップメキシカンアボカドが

おいしい、せんせい食べてみて」と言われたら、

それは、行くしかないのが、わたしどもの宿命である。

 

 25年ぶりの食事をわたしスターバックスですることにした。

 

 青葉台のスターバックスは
東急デパートに寄生しているように存在していた。

散らばるような机と椅子に、

パソコンを打ち続けているひと、

単語帖をめくっているひと、

話し込んでいる主婦たち。

 

わたしは、すこし並んで、

そのサラダラップメキシカンアボカドを

頼もうして、ショーケースをのぞきこんだ。

 

 スターバックスはどこもそうだが、

すこし暗い店内なので、わたしのお目当てが

どこにあるのか、よくわからない。

それに、後ろにならんでいるひとの

暗黙の圧迫も気になる。

 

 

 おそらく、アヤコの言っていたのは、

この陳列棚のもっとも下においてある、

リレーのバトンのはんぶんくらいのおおきさの

それではないかとおもった。

 

 値段も品物の表示もよくわからなかった。

だから、わたしは、ニコニコしている店員さんに、

「すみません、これください」と、

おそらくサラダラップメキシカンアボカドだろうものを

指さして注文した。

 

と、カウンター越しから、

「それ、お取りください」って言われる。

 

「はい?」

 

わたしは、これがガラス張りのショーケースの向こうがわに

あって、それを店員さんが取ってくれて、

支払うものとばかりおもっていた。

 

だって、ケーキ屋さんなんかそうじゃないか。

 

ところが、スターバックスは、

これがガラスではなく、ただ、セルフサービスで

取りあげて、レジにもってゆくものだったのだ。

 

 

 わたしはこのとき、ものすごく、

時代に乗り遅れていることに気付くのである。

 

 時代はかわりつつある。