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店舗案内

内視鏡検査

 自宅にかかりつけの医師から電話があって、

すぐ病院に来てくれというので、

いそいで村上医院に行ったら、

オリモ先生が、「胃じゃないんだよ」というから、

「食道ですか」とわたしが訊き返すと、

「そう」と言って机上の蛍光灯に、

レントゲン写真を嵌め込んで、わたしに見せてくれた。

たしかに、食道に「なにかある」わけで、

それがわたしのはじめての内視鏡検査になるわけだった。

 

  つまり、はじめて胃カメラというものを呑むことになった。

内視鏡というのが正式なのか、

とにかく、もしなにかあったら、

それでお陀仏、なんにもなかったら、それはそれで、

と、諦念をむきだしにして出かけた。

 

 

 日時をきめて、荏原病院に出かける。

 

 内視鏡検査の部屋は

体育準備室のような広さとオーラで、

ああ、瀟洒でうつくしい部屋ねってわけではなかった。

 

 看護婦さんからまず、胃の中の泡を

取る薬を飲まされ、それから、べとべとした

液体をお猪口に一杯飲まされた。

 

 そのお猪口が麻酔らしく、ついぞ、わたしの舌は

しびれはじめる。

 

「あの、舌がし・し・ぶ・れ・て」

ほら、呂律がかんぜんにいかれた。

 

 そして、わたしはベッドに寝かされ、

横になり、足を九の字に曲げされられた。

なにかの冬眠の姿のような、

オットセイの昼根のような。

とにかく顎をあげて管をとおしやすくしなくては

ならないらしい。

 

「はい、こういうのが入ります」と

女医さんは、わたしに黒い

エイリアンの脚のようなものを見せてくれる。

 

その説明、要らない気がした。

 

 

「さ、入りますよ」

 

「これから一番苦しいところを通ります」

 

「ウ・グ」

わたしは、麻酔があるとはいえ、

喉をとおる遺物をできるかぎり

気にならないように、それでも、

手は握りこぶしをしてすこし汗ばんでいた。

 

 と、なにやら、胃が膨れてくる。

昨日の夜からなにひとつ食していないので、

空腹なはずなのに、満腹感がする。

 

 しかし夜中まで、酒はたらふく飲んでいたから、

胃などはきっとただれているのじゃないかとおもった。

 

「はい、食道はきれいです、それでは胃のほうにはいります。

うん、胃もきれいですね。つぎは十二指腸。うん、

ここもきれいですよ」

 

 ストレートでウィスキーを飲んでいるわたしだが、

どうも、わたしの胃袋はそれに耐えているようだ。

 

 「じゃ、水ぬきますね」

 

え。胃の中に水を貯めこんでいたらしい。

だから、満腹な感じがあったのだ。

知らなかった。

 

 ようするに、わたしの胃袋は、内視鏡の管と、

大量の水で、ぐしゃぐしゃにされたことは

まちがいない。

 

 

検査にかかって管は胃袋駆け巡る

 

 

 ともかくも、わたしの、初の内視鏡検査は

なんにもなし、というところで終了した。

めでたし、めでたし、なのだが、

ちゃんとオリモ先生が、レントゲン撮ってくれていれば、

こんなことにならなかったのじゃないかと、

うっすらと先生を怨みながら、

帰宅した。

 

 

 数日経って、わたしは「やなか珈琲」にいた。

 

「きょうの珈琲は、エルナンデス・モンターナです。

コロンビアの珈琲です」と店主から。

 

 わたしがその値段をみると780円とあり、

「やなか」さんではわりに高め設定である。

 

 「これ、高いですね」

 

 「そうなんです、コロンビアは高いんですよ」

 

と、一口、お、これ香りいいですね。

 

「はい、苦みがありまして、それでも気にならず」

 

 「そういえば、さいきん、わたし内視鏡やったんですよ」

 

「え。社長が、どうでした」

 

「はい、横に向けられて」

 

「そうそう、わたしもやりましてね」

 

「あ、この珈琲、うまいな」

「わたしなんか、のたうち回りました」

 

「え、シマダさん、苦しかったの」

 

「はい、なんか看護婦さんに三人で取り押さえられて」

 

「でも、これ香り高いな。これいいですね」

 

「わりにこれならいけるという方いらっしゃいます」

 

「そう、わたしは、じょうずですって言われました」

 

「わたしの場合は、老人でした、先生が、

そのひとが

下手だったんでしょうか」

 

「そうかもしれません、わたしは若い女医さんでした。

これ値段あるだけあって、いいですね、うまいな」

 

「それで、社長、なんでもなかったんですか」

 

「はい、どこもかしこも綺麗って言われました」

 

「じゃ、無駄でしたね」と、シマダさんは

口を細めて笑いだした。

 

「これ、ローストは7番?」

 

「いえ、6番です」

 

「へー、そんなんで、この味か、すごいな」

 

「わたしが、のたうち回っているものですから、

つぎの方がカーテンの前に立っていらして、

わたし、どうしましょ、なんて言っているんです」

と、また、店主は小刻みに震えながら、

声高に笑い続けていた。

 

 「わたし、酸素を吸って来たら

いま、元気なんです」

 

 「へー、そんなことされたの」

 

「もう、夏バテで、でも、酸素吸って、

ニンニク注射打ってもらったら、

ぜんぜんちがうんです」

 

「ふーん、そうなんですか。わたしは、

このとおり、元気だからなぁ。いやぁ、この珈琲、

おいしかったです」

 

「社長みたいに元気な方には必要ないですって」

 

 

 

 けっきょく、「やなか珈琲」で、わたしたちふたりは、

まったく、拉致のあかない会話をして、

わたしは帰宅したのだが、あの会話を

いまもおもいだすと、わたしの胃の中で起きていた、

「ぐしゃぐしゃ」とよく似ていたような気がするのである。