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椅子

 あるネットの歌会のお題が「椅子」であった。

 

「いす」でもなく「イス」でもなく「椅子」である。

 

いままで、あんまり気にならなかったが、

はたして「椅子」とは何語なのだろう。

よく、この語を見ているとなんだか日本語じゃ

ないような気がしてくる。じゃ、「テンペロ」が天麩羅に、

「パオ・デ・カスティーリャ」がカステラになったように

語源はポルトガル語というのとはわけがちがう。

 

 漢字などをじっくり見ていると、うーん、

なんかこんな字だったっけ、と、その字が

ほんとうにそんな文字だったのかわからなくなることを

ゲシュタルト崩壊というが、この「椅子」においても、

それに類比的なことがわたしのなかに起こったのである。

 

 しかたなく『日本国語大辞典』で調べてみる。

辞書は三省堂、とか三省堂という会社がかってに宣伝するから、

辞書は三省堂がいいとおもいこんでいるひとが

この世の中に、なんにんかはいるだろうが、

三省堂がいいとおもったことはいちどもない。

 あれは企業戦略であり、土用の丑の日とおんなじくらいの

真っ赤なインチキなのである。

 

 広辞苑が日本最大の辞書だとおもっているひとが、

この世の中に数名はいるだろうが、

あれは、たかだか中辞典である。

サンキュータツオさんは、広辞苑は日本が

ほこる百科事典であると豪語していたが、

執筆者ならではの「言」であるわけだ。

しかし、わが国最大の規模、

つまり収録語彙数をほこる辞書は、

小学館の『日本国語大辞典』なのである。 

 

全二十巻、「椅子」は第二巻に所収されている。

大きさは一巻がごく一般の百科事典なみなので、

これを家に置くとなると、本棚二段を要する。

 

『日本国語大辞典』によれば、「椅子」とは、

 

1 禅宗の僧が説教する時などに用いる寄り掛かりのある

木製の腰かけ。高座。

 

2 腰かけ 倚子(いし)

 

3 近世の京都で、産婦の使う台。

 

4 会社や官僚などの役職または地位。ポスト。 (第2巻 65頁)

 

だいたいこのような説明があった。

『日本国語大辞典』のありがたいことは、

項目の最後に古辞書にその語彙があるかないかを

示してくれているところ。これは便利だ。

 

「椅子」は、15世紀のわが国の辞書、『節用集』にあると『日本国語大辞典』が

語っているので、さっそく『節用集』を調べてみる。

(拙宅には『節用集』が9冊あるのだ)

 

9冊の『節用集』を調べたところ、

すべての本に「椅子」を「イス」と表記があった。

古辞書というのは、その読み方が熟語にルビのように

付されているだけのものなのだが、当時に

その語があるかないかを見極めるのにはじゅうぶんである。

 

 つまり、1400年代にはすでに「椅子」は

日常の言語となっていたのである。

 

 また、インターネットなどで調べてみると、

もともとは倚子(いし)と言っていたらしい。

「倚」は寄り掛かるという意で、いつのまにやら「椅」に

なったそうだ。「子」は「し」という発音だったが、

唐音読みに準じて「す」、つまり「いす」になった。

 

唐音読みというのは、中国から漢字が

大きく、三回にわたって輸入されているが、

その最終の大きな輸入のときの読み方、それが唐音読みである。

 

たとえば、

行脚(アンギャ)

杏子(アンズ)

行灯(アンドン)

椅子(イス)

茴香(ウイキョウ)

外郎(ウイロウ)

西瓜(スイカ)

扇子(センス)

簞笥(タンス)

暖簾(ノレン)

瓶(ビン)

普請(フシン)

蒲団(フトン)

北京(ペキン) 

饅頭(マンジュウ)

 

などなど。もっとも新しい読み方である。

「西瓜」など、だから光源氏が紫の上と仲良く、

スイカをかじったなどのくだりがないのは、

とうぜんなのであり、

「イス」も日本の語彙史からすれば、

ずいぶんあたらしい読み方だったのだ。

 

と、そんなことを書いているところに、

麺を運んでくれる運送の方がきた。かれは、中国人である。

 

「ねぇ、椅子って中国語でなんて言うの」

と、わたしは唐突に訊いた。

 

「椅子デスカ?  エェ」とかれは苦笑してすこしかんがえている。

 

しばらく、現地にもどっていないので、忘れたのだろうか。

 

「チャウツゥ デス」

 

「え、チャウツゥ?  どういう字?」

 

「卓上ノ、卓トイウ字ニ子デス」

 

「え。これ?」

と、わたしが紙に「卓子」と書いてみせた。

 

「ンー、ソウデス。ア。イヤ。マチガエマシタ。

卓子ハ机トイウ意味デス。椅子はイツゥです」

 

「えーと、この字?」

と、わたしが「椅子」と書くと、

「ア、コレデス。イツゥ、デス」

 

なんかあてにならない中国人だとはおもったが、

「椅子」はそっくり中国語だったのだ。

 

 だから、なんだか「椅子」という語感にしろ、

含意にしろ、しっくりこなかったのは、

中国語の原語そのまんまだったからなのだ。

 

 やっぱり人に訊くのがもっとも早い。

 

「椅子」がいつの時代に輸入されたのかは

はっきりとわからないけれども、

清の時代の劉開(りゅうかい1781~1821年)というひとの

『劉孟涂集』(りゅうもうとしゅう)という書物に、

「君子の学は必ず問ふを好む。

問ふと学ぶとは相ひ輔(たす)けて行く者なり」とあって、

つまり、君子の学門の要諦は、ひとに訊け、ということなのであった。

 

 わたしも中国のネイティブに訊いて溜飲が下がったわけである。

 

 もちろん、わたしは君子でもなんでもないけれども。