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関係性

 まだ、わたしが新米の教員だったころ、
神奈川の平均点よりひくい学校に勤めていた。

私立の男子高校である。

 普通科と商業科があったが、わたしの友人の教員は、
普通科を普通科ではなく、普通以下と呼んでいた。


 その当時は、帝京大学の推薦入試で、
120名くらい受験したが、合格はわずかに数名、
そんなレベルの学校だった。


 だから、唯一の誇りは、神奈川大学の
指定校推薦枠の3枠をとりにいくことだった。

 神奈川大学の指定校は、一般受験で入学したものが、
同学部に二名いれば、その出身校からひとり、
推薦枠をもらえるしくみになっていた。


「普通以下」でも、神奈川大学に都合6名の先輩が、
合格してくれていたから、推薦枠が3名あった。


 しかし、その3名の枠に、選抜クラスのトップレベルの
生徒が、そこを狙いに行ったのだ。

 選抜クラスの担任はヤジマ先生だった。

ヤジマ先生は、じぶんのクラスに外部受験をさせずに、
とにかく、神奈川大学のすべての枠をじぶんの
クラスから選抜させようと、学年会議でも、鼻息あらくそう語っていた。

 大ベテランのヤジマ先生の意見だから、
わたしどものような若輩者はなにひとつ反論できなかった。

 けれども、わたしは会議のなかで、
選抜クラスが外部受験で神奈川大学などを
受けてくれなければ、けっきょく指定校推薦の枠は、
どんどん減ってゆくのは目に見えているではないかと、
そう言いたかったけれども、そんな雰囲気ではなかったのだ。


 けっきょく、ヤジマクラスが、すべての指定校を
もってゆき、クラスのトップ三名が神奈川大学に進学した。


 つぎの学年も、やはり、神奈川大学の推薦を
学年のトップ達が競って取りに行ったものだから、
数年たってみると、神奈川大学の推薦はゼロになってしまった。


 これが、世の中というものである。


 よってたかって推薦を狙い、外部受験させない
指導方針により、わたしの勤めていた学校は、
みるみるレベルを下げていったのだ。


 だれしも、指定校ゼロ、こういう結果になることは、
予想されたであろうし、気づいていることだったが、
そうなることを、職員会議や学年会議で
きっぱりと言う輩はひとりもいなかった。

 それは、想像力の欠如ではない。
だれしも、そうなることぐらいわかっているのだ。
わかっているけれども、このシステムを壊して、
つまり、トップレベルの生徒は、推薦をしないで、
外部受験をする、という、パラダイムシフトがいやなだけなのだ。


 数年後にはなくなってしまう推薦枠なのだが、
せめてじぶんの学年だけは、良い目をみたいという、
個人主義の精神が作動しただけなのである。


 高度資本主義が産んだ個人主義というものは、
こんな学校という末端にまで派生していて、
共同体感覚を麻痺させてしまっていたのである。


 資本主義が産み出したものとは、
けっきょく、国家レベルの堅固なシステムを構築することだった。

そのシステムのなかにあっては、
ようするに、人びとは「席取り」をすることに躍起になっていく。

 内山節という哲学者は、それをポジション取りと
言っていたけれども、システムは崩壊させたくない、
崩壊しないシステムのなかで、じぶんがどの位置にいるか、
どの場に所属しているかが、問題となったのだ。

 だから、高校の指導方針などどうだっていい、
名門校に行って、名門大学に行って、一流企業に進めたら、
それで幸福という人生を、子どもに強いるのである。

 それは、内実ではない。ただの「席取り」にすぎないのだ。

 一度、民主党が政権を握ったことがあった。
あのときは、民主党はほんとうは、このシステムを
べつのシステム、たとえば、共同体的な民主政治にシフトさせようと、
じつはそういう崇高な理念があったのだが、
民衆は、それに賛同しなかった。


 いまの高度資本主義が作り上げた、
このシステムを壊されたくないからである。

 おかげで、民主党は空中分解し、
ひどくみっともないカタチで消滅してゆく。

 世の中のひとは、このシステムを続けてゆくと、
けっきょく、ものすごい不幸が訪れるかもしれないと、
うすうす気づいているのだけれども、
「いま」さえ良ければ、それでいいという
目先のささやかな幸福論で生きているのだ。


 だから、自民党の政策、安保法制にも反対だし、
憲法改正にも反対で、安倍さんの人気はまったく
ないのだけれども、支持率だけはある、という
ねじれがおきているのは、ただ単に、
自民党さんは、このシステムだけは保持してゆく政党だ、
というその一点につきるのではないか。


 この「席取り」「ポジジョン取り」に欠落しているのは、
創造的工作である。作る、という身体運用がまったく、
脱落している。

 半世紀前までの日本の人口の多くは農民だったが、
農民は、作りながら生活をし、商家も作りながら生きてきた。

 生活を作る、仕事を作る。コミュニティを作る。

そういう創造的工作が「席取り」によって
まったく姿を消してしまったのである。

このへんの事情は、内山節さんがくわしく
語っていることであり、わたしは、それをただ
なぞって申し上げているだけなのだが、
レヴィストロースという文化人類学者が、
アフリカの知性として「ブリコルール」を発見した。

ブリコルールとは、工作的人間たちであり、
野原を歩いては、生活に必要だと判断したものだけを
家に持ち帰り、それを工作して生活に役立てる人々をさす。

ブリコルールのような生き方をしている
日本人は、すでにまれであり、
高度資本主義のシステムのなかでは、
ただ、その場を確保することだけに
人生の幸福論があった。


 いま、「席取り」に専念していたサラリーマンが、
定年をむかえる、世の中ではじめての事態がおきている。

 資本主義のシステムから離脱したメンバーである。
そうすると、けっきょくは、
工作的人間に回帰しなくてはならないはずなのだが、
その経験がないものだから、世の中がまたおかしくなっている。


 高度資本主義がこの世に落としていったものは、
「席取り」だけの目線をもったニンゲンたちが、
共同体感覚をネグレクトさせ、個人主義的な
価値観、ミーズムを醸成するというしかたであったのだ。


 ほんらいは、社会とは関係性のもとに
成立するべきであり、共同体のなかでじぶんが
はぐくまれ、その関係性において成人してゆく、
という姿がこのましいはずであり、それが
人生の動機付けになっていた。

故郷に錦をかざるということが昔はあった。


 学校という、限られた空間においてでさえ、
共同体感覚をもち、関係性を有意義におもえば、
推薦枠をなるべくなくさないような努力と、
それには何が必要なのかは、
算数の計算よりも容易なことだったのに。


 教育とは、じぶんたちの共同体を守るための
教育だったはずである。