秋の深まった昼下がり、
街に仮装した子どもたちが列をつくって歩いていた。
ハロウィンである。
むかしはあんなことさっぱりなかった。
ハロウィン。
「お菓子をくれないと殺すぞ」
みたいな「まじない」を言いつつ、民間人から甘いものを
略奪する子どもにおける洋風の儀式である。
しかし、日本人はこれを儀式とはおもっていない。
宗教色がゼロだからである。ただの遊戯である。
遊戯が日常化すると行事になる。
行事は儀式ではない。
ここが日本人の日本人たるゆえんである。
キリスト教信者が、人口の1パーセント未満であることも
うなずける。
宗教的コミュニケーションが分厚くないからいたしかたない。
ハロウィンは、
ケルト人の伝統にルーツがあり、
もともとは収穫祭の要素があって、
古代ローマやキリスト教に影響されつつ、
アメリカなどでは民間行事となった。
むこうでも、ほとんど祝祭の
意味合いは希釈されているそうだから、
日本だけを責めるわけにはゆかない。
しかし、なんべんももうしあげるが、
秋のおわりころに、ハロウィンをやって、
年末にはクリスマス、その数日後には、大晦日で、
その翌日には神社に初詣、そして、
数ヵ月後には、バレンタインデーをする。
ハロウィンはキリスト教とは
ちょっと距離があるが、クリスマスはキリスト教、
除夜の鐘は仏教、元旦は神道、と雑種の宗教が
いりまじっている無秩序さは、頭をかかえてしまうくらいだが、
これが日本だ、ぼくらの国だ、ということだ。
こういう事況を、粟津則雄氏は「様式の欠如」と
説いたが、まさしく、様式の欠如、無秩序が
日本人のアイデンティティなのだろう。
こういうふうな、様式の欠如、無秩序は
いつごろから活性化したかといえば、
やはり近代国家の樹立と無縁ではないだろう。
なにしろ、江戸時代の300年間は、
外国とのつきあいはほとんどないのだから、
独自の文化が根ざした。
歌舞伎にせよ、相撲にせよ、浮世絵、落語、
能、狂言、すべてにおよんで国風である。
国史を遡れば、室町文化や安土桃山文化とか、
国風文化など、様式美は確実に存したのである。
しかし、じっさいは、隣国の影響もあったのだろうが、
そこは、いまのような顕著さはみられない。
それが、ペリー来航いらい、
めんどくさい外国とつきあわなければならなくなり、
苦労知らずのおぼっちゃんだった江戸時代が、
欧風化してゆくことになる。
いやいや外国とつきあう国民性を「外的自己」
いつまでも、じぶんを日本人たらしめようとする
国民性を「内的自己」と二分し、
それが同時に存するため、
そこに「建て前」と「本音」の精神分裂的な病を
内在してしまった不幸を、
岸田秀は、「唯幻論」として説いた。
それは、国家においてそうなのだが、
国民ひとりひとりにも再演されているというわけだ。
ところで、その精神分裂的ソリューションを無意識的に選択して
しまったこの国の、もっとも根幹に、つまり主要矛盾として、
わたしは、劣等感があるとおもっている。
日本の政治をひとことで言い表すと「きょろきょろ」だという。
他国の動向をみながら、日和見的に動く。
これこそ「きょろきょろ」なのだが、
なぜ「きょろきょろ」するのか、
といえば、世界からわが国は劣っていると、
国民全体がそうおもっているからではないか。
だから、髪の毛を染めて、髪の毛だけ外人になり、
顔はそのまま日本人というひとがいっぱいいる。
外国にたいするコンプレックスである。
すぐ、会社の名前を英語にしたり、
カタカナ用語にしたりする。
「JR」とか「JT」とか。
大学の学部にも、いま外来語が普及しはじめ、
そっちのほうが人気が高いらしい。
なんとかコミュニケーション科、とか、
メディアなんとか科とか。
こういう劣等意識は、
なんでも外来文化を取り入れて、
それで、へっちゃらという国民性に反映される。
これを、好意的にみれば、デューイの言うところの
プラグマティズムということになる。
ようするに、
実用主義という便利な言葉に還元できる。
なんでも、じぶん流にしてしまうという
その考え方が、プラグマティズムである。
だいたい、どの識者も、日本人のこういう
文化の取り入れ方をそう説明されているとおもうが、
わたしは、単なるプラグマティズムでは、
説明できないもろもろが残留しているように
おもえてならない。
それは、底辺には、劣等感が確実に
あるにもかかわらず、
みんなのやっていることはわたしもやる、
という農耕民族特有の一種の有能感が
プラグマティズムを担保しているとおもうからだ。
劣等意識と有能感というパラドクスが
国民に内在しているところが日本人論の
基幹をなしているのではないかとおもうのだ。
イタリア文化会館が千代田区三番町に
建設された。わたしは、あの建物を見たとき、
まだ、建設中かとおもったのだが、
すでに完成されているという。
ビルの壁が、防錆の塗料のような色で
塗りたくられていたからである。
赤褐色の、マゼンタに黒を混ぜたような色なのだ。
設計士は、イタリア人の、ガエ・アウレンティ。女性である。
千代田区三番町といえば、皇居に面した一等地である。
すぐそばが千鳥が淵。そこに、焼き芋の皮みたいな
へんてこな色合いのビルがでんと建っている。
むかしは、皇居のまわりは高いビルを建てては
いけなかったが、いまはずいぶん規制もゆるんでいるらしい。
だから、第一生命ビルも高さ制限によって、
低いビルなのだが、しかし、日本は、
高さ制限はあっても、ビルの色の制約はないため、
つまり、何色に建物を塗ってもかまわないのだ。
とは言っても、あのイタリア文化会館の
茶褐色はNGだとおもうのだが、よく聞いてみると、
あの色は、本国イタリアでは禁止されている色合いなのだそうだ。
イタリアとか、フランスとか、ギリシアなどは、
街並みに統一感を持たせるための規制がきびしいらしく、
つまり、様式の統一性というものを
念頭においているから、好きこのんだ建物ができない。
それだから、アウレンティ女史は、
イタリアで禁止の色を、うまし国ぞ秋津島、
日本で試したのではないだろうか。
それって愚弄してんのかよとおもってしまうが、
彼女の真意はわからない。
さて、この様式の欠如を、いっきに
払拭しようとすれば、粟津則雄氏によれば
「狂信的な克己主義者になりかねないのであり、
そこにあらたなるファシズムの根が存在する」
(『世紀末文化私観』)と説くのだが、わたしは、
そのへんの理路がよくわかっていない。
ファシズム? そんな全体主義が、
様式の欠如が骨肉化した日本人から芽生えるなど、
あるのだろうか。
いやぁ、わからない。
けっきょく、なるようにしかならない、
というオチなのであって、農耕民族の行き着くところは、
みんなといっしょで、みんなよりアッパーミドルな
ブランド品を身につけ、ささやかな有能感をもちながら、
ささやかな一生を送るのだろう。
ほんのちょっとのコンプレックスを抱きながら。
・時雨ける街ゆく子らの列をみてちいさくささやくトリック・オア・トリート