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極刑

 光市母子殺人事件は1999の4月のことである。

 18歳と30日になる福田孝行が
23歳の主婦を殺害後、屍姦、
生後11ヶ月の娘を殺害し、
財布をうばって逃走した事件である。

 福田が捕まったときは、ゲームセンターで
遊んでいたというのだから、
反省もあったものではない。

 広島地裁は、福田に少年法を適用し、
無期懲役を言い渡す。

 しかし、少年法の無期は、
有期であり、最長でも7年である。

つまり、福田は25歳で世の中に復帰できるわけだ。

 刑罰の効果はおおよそ三点ある。
ひとつは、抑止効果。
 しかし、国連の犯罪統計でも、あんまり抑止は
機能せず、軽犯罪や性犯罪のほかは期待できない。

 つぎに、被害者、およびその関係者の
感情的回復である。ただ、どういう感情的回復が
ベターであるかは、よくわからない。

 なんべんも頭さげれば許すひともいるだろうし、
死刑でも物足りないとおもうひともいるだろう。

目には目をで、おんなじように
させてやるっておもうひともいよう。


 
 三つめは、国家の社会的意思の貫徹。
この国では、こうすると、こうなりますよということを
示すためである。

 この三つ目が大切なのだ。

 だから、中国で麻薬なんかに手を出すと、
即刻、死刑になる。このあいだも、
日本人が、麻薬取引にかかわり、
あっというまに、男女四人だったか、死刑になった。


 光市母子殺人事件の公判は、
広島高裁にあがり、最高裁に上告され、
何年もかかって、最高裁が差し戻し判決をだし、
けっきょく、平成24年、広島高裁で死刑が確定する。


 そのときの、最高裁の判決理由のひとつが、
福田に反省の余地がない、というものだった。

 最高裁判所の裁判官は、五人の合議でなされるが、
ひとりが、この事件にかかわっていたということで、
四人の合議となり、三人が死刑を、
ひとりが、そのまま無期懲役を支持した。

 とうぜん、最高裁の差し戻し判決だから、
広島高裁は死刑を宣告するしかなかったが、
はたして、多数決で死刑を決定していいものかどうか、
それも、課題が残されている。

 そもそも、死刑制度を維持している国は、
40数カ国であり、世界人口のやく半数のひとが、
この制度のなかにいる。


 たしかに、死刑廃止を訴えたフランスや、
スペイン、コロンビアなど、
宗教的コミュニケーションが分厚い国なら、
死刑にかわる「なにか」あるわけで、
ところが、日本は、宗教的なコミュニケーションの
厚みがないだけに、死刑における
オルタナティブツールが希薄なのだ。


 これしかないっていうところである。


 それでも、死刑宣告を言い渡す
地裁の裁判官は、気が重いだろう。

 
 三人の合議制なので、判決の前には、
三人がよりあって、裁判長が、陪席裁判官に、
なんども確認するという。

 そして、高裁に控訴すれば、
また、そこでべつの裁判官が合議して、
あげく、最高裁に上告すれば、そこで五人の
裁判官によって審議される。

 最高裁で死刑がきまれば、
つごう、十一人の頭脳で審議したことになり、
地裁の裁判官もほっとするという。

 じぶんの判断が正しかったとおもうだろうし、
責任も希釈されるだろう。


 しかし、被害者、
あるいはその家族の感情的回復が、
裁判におおきくかかわるのなら、
身寄りのないひとの犠牲はどうなるのか。
感情的回復はゼロである。


 また、反省するかしないかで、
罪の重さが変わるなら、
罪を憎んでひとを憎まずではなく、
罪を憎まず、ひとを憎むことにならないだろうか。


 死んでお詫びではないが、
はたして、死刑がもっともすぐれた選択なのだろうか、
たとえ、情状酌量のない罪であっても、
それによって、国家権力のもと
ひとがひとの命を絶つということが許されるのだろうか。


 しかし、もし、わたしの身内が
非道なしかたで殺されたら、
きっと、わたしは死刑を望むだろう。

 それは、間違いのないことである。

 けっきょくそうなっちゃうんだな、
日本って国は。


 福田孝行は、いま大月という名にかわって、
広島拘置所に収監され、
そのときをまっているところである。
 
かれは、ことし、42歳になる。