Menu

お得なアプリでクーポンGet!

店舗案内

敬語の使い方

「なるほど」という語は

目上のひとにつかってはいけない、

という常識はいまはずいぶん希釈されているようだ。

常識とは、偏見なのだから仕方ないのだろうか、

しかし、「なるほど」とか言われると

わたしはそこに違和感をかんじてしまうのだ。

 

 過度な敬語もどうかとおもうが、
まったく敬意を表せないひともどうかとおもう。
あるいは使い方である。


 比較的レベルの低い高校生となると、
敬語の使い方などはあったもんじゃない。

 S高校という神奈川屈指の底辺校では、
なんでも語尾に「・・おもうのでござりまする」を
つける生徒がいたそうだ。

 「は、・・とおもうのでござりまする」

 なんでもこんな調子なものだから、
国語のテストでも20字で書け、というのに、
その20字に
「おもうのでござりまする」と後に書いてしまうので、
いつもバツになっていた。

 夏休み、三者面談があって、かれの父さんが
職員室に来て担任と話していたのを聞いたら、
それは父が原因だとわかったらしい。

「は、うちの息子は
就職させようとおもうのでござりまする」

 

 この学校の文化祭のクラスの
実行委員の女子学生に
ある先生が訊いたそうだ。

「お前のクラスなにするんだ」

「はい緑の日をします」

「緑の日?」

「はい、ヨーヨー釣ったり、ダーツ投げたり」

「・・・それ、縁日だろ」

一事が万事、こんな具合である。

 

わたしが、二年間つとめたK学園も、
かなり低次元だった。


苅谷剛彦さんが『階層化社会と教育危機』で

「比較的低い階層出身の日本の生徒たちは、
学校での成功を否定し、
将来よりも現在に向かうことで、
自己の有能感を高め、
自己を肯定する術を身につけている。
低い階層の生徒たちは
学校の業績主義的な価値から離脱することで、
『自分自身にいい感じをもつ』ようになっているのである」
と語るが、はたして、K学園の生徒諸君に
有能感があったのか、あるいは、有能感にも、
兵隊さんのくらいがあって上等なのから
下等なのまであるのかもしれない。


そういえば、「おれたち金はらってんだから、
先生が黒板消してくれよ」とか平気で言っていた。


なにをかいわんや、こんな有能感は、
有能感とは、ちょっと違う気がするのだ。


 
 わたしにも罵声を浴びせる野郎とか、
生意気な態度を取るやつらがぞろぞろいた。


だから、わたしは、そいつをきっと睨んで、
「てめぇ、ここが学校だから甘くみてやってんだがよ、
おめぇ、おれと外で顔あわすんじゃねぇぞ、
わかってんだろな」

 なんて、やさしく注意したものだ。

 

「せんせい、このジュース買ったらよ、
2本出てきたんだよ、得した、得した」と、
喜んでいた生徒がいたが、
翌日、「せんせい、あのとき1000円入れたんだけどさ、
お釣り取るのわすれちまったよ」だって。

バカ丸出しである。


だいたい、そういう学校では、
教師からして言葉遣いがまちがっている。

「○○君、職員室まで来てください」

こんな校内放送をする。君づけもどうかとおもうが、
「来てください」という敬語は、教師が生徒にするものではない。


「何年何組、○○、職員室に来なさい」

これが正しい。


 しかし、いまの生徒さんは、
敬語の間違いだらけの位相に暮らしているから、
「なになにしなさい」という敬語法にむしろ
違和感を抱いてしまう。


 テストの見回りにしても、
「質問ありますか。それでは三行目をみてください」
とか言う。「ください」はNGなのだ。


 ただ、どうも「ください」がおかしいと
気づいている教師もいる。しかし、「みなさい」とは
言えないのだ。生徒の反応が怖いのかもしれない。


「なんだよ、その言い方はよぉ」とか言われるのが。


 だから、潜在的に「ください」に齟齬を感じる先生は
きまって「ください」の真ん中に「促音」をいれるのだ。

「えー、それではあとの5分間、
がんばってくだっ、さい」

 いや、もっと「さ」の音がのびる。

「えー、それではあとの5分間
がんばってくだっ、すーさい」この「すー」は
音があんまり出てこない音である。

 こうやって話す先生かなりいたよ。

 

 若いころは、横浜の高校につとめていたのだが、
そこの学習指導部の部長先生というのが、
パラノイアだった。

 国語の教師で、なにしろ食事をみんなと
ともに取れない、という偏執ぶり。

 わたしの弁当に異物をいれるものがいるんです。

とか、本気で言っていた。


 そのひとが部長になるや、
すべての書類に「ケチ」がついた。
その「ケチ」はどうでもいいよねってものも多かった。

 
わたしが、ある生徒の推薦書類を書く。


それは、各部長の印鑑をもらって、
最後は校長の許可をもらってはじめて大学に
提出してよい、というめんどうなものだった。
つまり、八人くらいの印鑑が必要だったのだ。

 まるで、法務大臣の死刑執行命令が
拘置所に届くまでの手続きとよく似ている。


 「・・ということで、推薦もうしあげます」


 たしか、こんな文面だったが、この「推薦もうしあげます」に
学習指導部長、田中さんがクレームをつけてきた。

 「ご推薦もうしあげます」にしなさいと。

「ご」あるいは「御」は尊敬語である。
「もうしあげる」は謙譲語である。

「ご推薦もうしあげる」という言い方は
「田中先生様」みたいに、わたしには書けない
間違った敬語法におもえたのだ。

 しかし、そのとおりにしなければ、
この推薦状は大学に提出できない。

 わたしは、ひとつも間違いのない推薦状に、
歯軋りしながら、目に泪を浮かべ、
訂正印を押し、校正のときにする記号をつけ、
そこに「ご」と一字、つけ加え、
欄外に「一字挿入」と書き足した。


人生の最大の屈辱であった。


 そうかんがえると、
どうせ直さされるのだったら、
「推薦いたしたいのでござりまする」
とか書いておけばよかったかもしれない。