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記憶

にんげんの記憶というものは、

あるバイオレンスなことが起こると、

ほんとうに大事なことよりも、

トリビアルだが、それでも衝撃的なことが

頭に残るものである。

 

 

 わたしがまだ大学院生のころ、

教授のお供で、学部生をつれて

長野まで合宿にいったことがあった。

 

 

 勉強合宿で、たしか『大和物語』という歌物語を

読む、という合宿だった。

 

 『大和物語』という古典は、女房たちの

茶話のような性格で、

あ、その話ね、ならこんな話もあるわ、

なんて具合で、

つぎからつぎに話が展開してゆくので、

連鎖的展開なんて、雨海先生はおっしゃっていた。

 

・  天敵をもたぬ妻たち昼下がりの茶房に語る舌かわくまで

              (栗木京子 「中庭」より)

 

 そもそも、『伊勢物語』よりも

兵隊さんのくらいが低く見られがちで、

先生は、なんとか、『大和物語』の

文学性をあげたがっていたとおもう。

 

 わたしは『伊勢物語』もたいした作品ではないと、

そうおもっているが、私淑している丸谷才一さんも、

そんなに感心する作品ではないと、語っていた。

 

 

 さて、その合宿の何日目だったか、

夜の料理はエビフライだった。

だいたい、学生の合宿となれば、

カレーかエビフライか、ハンバーグと

相場はきまっているわけで、

わたしは、

添えてある野沢菜をひとくちつまんだ。

 

 

ん。

 

そのときだ。

 

ガリっという音とともにわたしの口中、

大事件が起こったのである。

 

 野沢菜のなかに「カメムシ」がいたのだ。

 

それをわたしは、ものの見事に噛んでしまった。

 

だから、わたしの口の中は「カメムシ」で

いっぱいになった。

 

あの青臭さというのか、

この世のものとはおもわれない悪臭が

口の中から鼻腔につたわり、そして

脳のほとんどを「カメムシ」が凌駕した。

 

 はたして、わたしの口にした「カメムシ」は

それまで生きていたのか、あるいは他界していたのか、

とにかく、微塵に噛み砕かれてしまったので、

わからずじまいである。

 

 ゼミの先輩という立場で、

ここであわてふためくわけにもゆかず、

わたしは、しずかに、この惨劇を皿のすみに

吐き出し、こともなげに平静を装った。

が、もうなにも口にできない。

 

うー、まだエビフライが残っているのに。

 

 けっきょく、わたしは、寝るときも、

「カメムシ」といっしょだった。

 

 そして、つぎの朝も「カメムシ」はいた。

 

朝飯も食べられなかったのだ。

 

 

 とにかくあの虫はたいしたものである。

これほどまでにひとを呪うなんて。

 

 

 このバイオレンスは、わたしのゼミ合宿のすべてを

デリートさせたのである。

 

にんげんの記憶というものは、

あるバイオレンスなことが起こると、

ほんとうに大事なことよりも、

トリビアルだが、それでも衝撃的なことが

頭に残るものである。

 

 

 それから、何年経ったろうか、

わたしははじめて「パクチー」という

三つ葉に似たものを、中華街で食した。

 

 たしか、蒸した鯛のうえにかかっていたとおもう。

 

 ものすごく臭かった。

 

「あれ、これ、どこかで食べた味とにおいだ」

 

と、わたしはおもい「あ、これカメムシじゃん」

と感じたのである。

 

 パクチー、香菜は「カメムシ」である。

 

こう措定できるのは、たぶんわたしだけだろう。

 

世界で「カメムシ」食べたひとはいないだろうから。