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フルーツパフェ

きのうは、ひさしぶりにエリカと会った。

田園調布の駅前の喫茶店。

エリカは、大学一年生。秘書科に進んでいる。

ここの大学は、秘書コースだと徹底的に秘書とは

なんたるかを仕込んでくれる。

わたしが、彼女の性格をかんがみてここを薦めたのだ。

 

 うち、就活しないで、留学したいんだ。

中学くらいから、そうおもっててさ。

 

 ふーん、親はなんて言ってる?

 

 うん、好きなようにしていい、って

 

 留学を望んでいる子が増えたなって、

そのときおもった。

 

そして、素直に彼女のかんがえに賛同できなかったのも

事実だった。ぼんやりだが、ちょっと待ってよ、

ほんとにそれでいいのかいって言いたくなったのだ。

 

 

 さいきん、ネット犯罪がふえた。

「プロフ」の仲間で、中学生が傷害事件をおこしている。

 

いちども、会ったことない者同士が、いがみ合い、殺意をいだく。

 

「おれは、だれのしたにもつかない」

たった、ひとことの「プロフ」への書き込みが、原因だという。

 ネット社会というのは、

たしかにグローバリゼーションの名のもとに全世界に拡散し、

蔓延化した。グローバルという発想は、

ネーション(国民)という境界があってこそ、

成立するものだが、グローバル化のもたらしたものは、

全世界を漸近的に接近させた反面、

みずから生きている地面からの乖離を誘発した。

 

つまり、ネットとは、「日常の希釈」をうながすのだ。

 

 ネット社会は、たしかに、

目線はとおくを瞬時に見据えることが可能になったが、

それと反比例して、みずからの地道な努力や、

いま生きている土壌をあいまいにぼかしてしまっている。

 

実地の生活感が薄れているのだ。

 

 いまのネット社会の申し子たちは、

こつこつと切磋琢磨して、

じぶんのいる「場所」を大事に、時代の要請に応じながら

そこでじっくり生きてゆくというわが国の本来的なあり方に、

むしろ不安を抱いたり、不満をもったりしてしまっているのではないか。

 

 

それは、ひょっとすると、

あたらしいタイプのアイデンティティの崩壊が、

ネット社会によってはじまりつつあるのかもしれない。

 

 インターネットがわれわれに譲渡したものは、

楽になんでも入手できる「魔法の杖」ではなかったはずなのだが。

 

 

 わたしは、留学をするという彼女の望みを聞いたとき、

わたしのぼんやりは、希釈された現実のなかに

彼女がいないことを願っていた。

 

じぶんはなんにもしないで、

だれかがなんかしてくれるって、そう考えていないことを願った。

 

 

 エリカは、コーヒーセットを注文し、

わたしは、フルーツパフェを注文した。

 

 彼女は、カフェラテに砂糖をぽんっといれ、

ティースプーンでからからまわしながら、

留学先の候補地をわたしに伝えた。

 

 

 と、コーヒーのなかから紙が出てきた。

エリカは、紙にくるまれている砂糖を

そのままラテの中にいれていたのだ。

 

 

 ばか。

 

 フルーツパフェがきた。

 

え。パフェの容器の半分以上が、

コーンフレークじゃないか。

 

アイスクリームとフルーツは飾り程度にちょこんと乗っているだけだ。

 

わたしは、上に乗っているアイスクリームをすくって、溜まって、

じゃらじゃらいっているシリアルを

細長いスプーンでつつきながら、エリカに言った。

 

 

牛乳、たのもうかな。