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カワハギ釣りに行く

 LINE電話が鳴ったので

枕元からごぞこそと。

「あ、もし。起きてるだろ?」

「え、いえ、いま何時です?」

「えっと、2時45分だよ」

「きょうの約束は4時でしたよね」

「そうだよ、でも、もうすこし早くきてもらいたいんだ。

10分でも15分でも。忘れ物ないようにな」

「はぁ、わかりました」

わたしは、また枕元に携帯を置いたが、

かるく熟睡したいわたしにとって

2時45分はそうとうあいまいな時間であった。

 

3時10分に起きるようにセットしてあったからだ。

 

寝過ごしてもいけないし、いま起きるのも

中途半端。

 

きょうは、店を休んで釣りにいくことになっている。

野田家には4時30分だったのだが、

野田さんがやはり4時にしようということで

かれのアパートには4時という約束だったのだが、

いまの電話で3時45分ということになった。

 

わたしは、しかたなく起き出し、

原稿をひとつメールしてから

野田宅にむかう。

 

うちから川崎まで40分くらいだから、

やはり4時くらいになってしまうのではないか、

と、すこしそわそわして246号を飛ばす。

 

早朝の道路は、異空間のようにまっすぐと道がつづく。

まるで滑走路、夜空につづく、である。

 

梶ヶ谷の交差点を右折するのだが、

そこにローソンがあるから、食事を用意しようかと

おもったのだが、「早く来い」とのお達しどおり

わたしはそのまま野田宅にゆく。

 

と、野田さんは道端で仁王立ちよろしくわたしを待っていた。

3時55分。

 

「すいませんね。遅れて」

「いや、いいんだよ、寝てたのか?」

「寝てましたよ」

来年、喜寿をむかえる野田さんは

「そーか、おれは一睡もできなかったよ」

と言った。

 

 なんて話をしながら、野田号に荷物をいれかえ、

目的地の腰越港にむかう。

 

 「運転、わたしがやりますか?」

 

 「ん。いいよ、おれがする。疲れたら

代わってくれ」

 

「途中、コンビニに寄ってもらえますか?」

 

 「飯か?」

 

 「はい」

 

「おれの友達は、みんな前の日から用意してるんだけどな」

 

「そうですか、すみません。

いま、わたしサンドイッチを主食にしてるんで、

塩分すくないんですよ、サンドイッチ。

途中、買って行こうとしたんですけれど、

野田さん、早く来いって言うから。

サンドイッチは前の日じゃ干からびるでしょうよ」

 

「なんだよ、じゃ、おれのせいかよ」

 

「いや、そうじゃないですけれど、なら、

いいです、コンビニに寄らなくても」

 

「うん、わかった、寄って行くよ」

 

 と、すこし苛立ったような野田さんだったが、

いつもこんな調子でわたしどもの会話はすすむ。

というより、まず、わたしの話はそっちのけで

じぶんの話を、頭のてっぺんから足先までとことん

話はじめるのが野田文法である。

「それはそうとよ」がはじまれば、

そこからは野田劇場の開演である。

 

 

 野田さんは、よく言えばシンプルだ。

「あ、マスク忘れた。コンビニ寄ってくれ」

と言うので、「おれのでよければ」

「あ、ありがたい」と手渡したマスクが黒。

 

「おれ、黒いマスク嫌いなんだ」

とか言うし。

いちど、早朝出かけたときに「戻ってくれ」

ときゅうに言うんで「はい?」と訊くと、

「入れ歯忘れた」とか言う。

しかたなくUターンして野田家にもどったこともある。

 

「野田さん、入れ歯もってきた?」

とある別の日の釣行で訊くと

「な。やっぱりきみはそれを言うとおもったよ」

と、苛立った時はわたしのことを「きみ」と呼ぶ。

じつに直情である。

 

 

「おれはよ、船を遅らせるのがいやでな。

乗船は6時なんだけど、その駐車場が開くのが5時と

決まってるんだ。だから、5時には着きたくてな」

 

「それはわかります」

 

「むかしだけど、船に乗ろうとしたときに

きゅうにトイレに行く奴がいて、

そいつのせいで船が遅れたんだ」

 

「乗るときに?」

 

「そうだよ、乗ろうしたときに便所いきやがって、

みんなを待たせたんだ、だから、

おれは、そいつとは二度といっしょに釣りにはいかないんだ」

 

「みんなの迷惑になりますからね」

「そうだよ」

 

 車は新鎌倉というあたりから

腰越の港にむかって坂をくだる。

 

そろそろ、港である。駐車場にはすでに何台か

開門待ちの車が横づけされていた。

 

カワハギ釣りは、わたしは人生二度目である。

YouTubeで見る限り、かなりむつかしい釣りの

ひとつらしい。

わたしなどに釣れるはずはないと

最初からあきらめていた釣りである。

 

とりあえず、ひととおりの道具はそろっているので、

わたしが初心者であることは外見からはわからない。

 

防波堤の先に漁船がまっている。

 

揺れる船にまたぐのも一苦労、

遅れてきて足をすべらせ船と海のあいだに躰が

挟まったバカの話は、今朝、野田さんから聞いたばかりである。

 

さて、釣り座を確保し、さあ、出発だ、

というところで野田さんが「あ!」と言った。

「船長、ライフジャケット忘れてきちゃった」

と、船長はこまった顔もみせずに

「待ってるから」と微笑んでいる。

 

わたしは、今朝の車の話を

フィードバックしながら、

乗る途中でトイレにいくやつ、船から落ちるやつ、

と順々に走馬灯のごとくおもいだしたが、

ライフジャケット忘れて車にもどるやつ、が

いちばん、迷惑なのではないかとおもった。

 

 

 釣果は、ベテランの野田さんが3枚、(リリースの小魚をいれたら4枚)

わたしが4枚のカワハギを釣った。

 

いちどに2枚がついてきたこともあって

まわりを驚かせた。

 

 わたしどものとなりのベテランは一日に2枚だったから、

わたしの2枚あげはさぞびっくりしただろう。

 

 そのとき野田さんがわたしのほうを向いて笑う。

「おれ、今日なんでこのパン食べてるかわかる?

君だからいうけど、今日、入れ歯忘れたんだ」

 

 野田さんは、なにしろ、口うるさい人だし、

なにが嫌いだとか、

好き嫌いがはっきりしている人なのだが、

しかし、付き合いやすいのである。

 

それは、野田文法が明白に存在するからである。

 

中野好夫というひとは「悪人礼賛」という文章で

「世の中に、善意と善人ほど始末に困るものはないのである。

・・聡明な悪人から苦杯を嘗めさせられた覚えは

かえってほとんどない」といっている。

なぜ、聡明な悪人が付き合いやすかといえば、

「本質的には自らにして基本的なグラマーとでも

いうべものがあるから」と中野氏はいう。

 

 その点、善人は「善意を語り、純情を披歴する」

だから「驚くべき錦の御旗」をあげて、

ぎゃくにこちらに迷惑がこうむろうと

「深く一揖して、深甚な感謝をさえしめさなければ

ならぬ」と氏はいう。つまり、めんどくさいのだ。

 

野田さんは、たしかに自分のおもったようにしか

動かないし、好き嫌いもじゅうぶんあるし、

ひとの話は聞かないし、むつかしい人ではあるが、

しかし、

かれなりの文法があって

それにのっとって付き合っていれば、

こんな楽なひとはいないのである。

 

帰りの車の中。

 

「野田さんが、どういうときに怒るとか、

不平を言うとか、わかっているからね、

野田さんなりのルールがあるでしょ、

だから、付き合いやすいんですよ」

と、わたしが言うと、

「そうかねぇ」

「はい、中野好夫の『悪人礼賛』にそうあります」

 

「え、なんだよ、じゃおれは悪人かよ」

 

うん、たしかに、おもったとおりの返事がきた。