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当為の文体

 とんかつソースという

ネーミングがあるから、

とんかつにはとんかつソースと

おもっている人が多いのではないか。

 

じっさい「辞書は三省堂」とかいうから、

三省堂の辞書がベストとおもっている人もいるはずだ。

 

三省堂の新明解国語辞典など、

くせの強いとんでもない辞書なのに。

 

むかしは、三時のおやつは文明堂とか

あったが、さすがに、三時のおやつには

文明堂のカステラを食べた記憶がない。

 

どうでもいいが、いま「記憶にありません」ではなく、

「確認できません」が、国会の常套句になっている。

 

 

さて、とんかつソースの話にもどすが、

なぜ、とんかつソースなのか。

 

とんかつを揚げる油が多少わるくとも、

あの、どろどろをかけると、その悪さが

希釈されるのだ。

 

 

悪い油であげたとんかつを、

たとえば、

醤油をつけて食べたら、その悪さが

ひとしお感じられるものである。

 

とんかつには、おろしポン酢もよろしいし、

わたしは、塩をすこしつけて食べることにしている。

 

 

けして、ソースがあうとはおもわない。

 

もちろん、これは「好み」のもんだいであり、

こうしなくてはならないというものではない。

 

こうしなくてはならない、という文脈を

「当為」というが、わたしの話には、

当為のコンテクストはない。

 

たとえば、カレーライスをスプーンでは

食べないことにしている。

 

 レストランに行って、

ランチのライスをスプーンで食するひとを

みたことがない。それと同じく、カレーライスも、

フォークで食するのが、上質におもえる。

 

 人生の先輩、野田さんは、

「うるせぇな。ひとがどう食おうとも

かってじゃないか」と、口をとがられて言っていたが、

これは当為の文体ではないので、野田さんが

どういう姿勢で食べてもわたしには無縁である。

 

 が、いちど、「おれはよ、このてんぷらは、

塩で食えとか、これは、たれで食えとか、

店のやつがいうだろ、あんなこと、言うこと聞いたこと

ねぇよ」と野田さんが言っていたから、

「ふーん、店の言いなりにならないの?」と

わたしが訊きかえすと、「おーよ、聞かないね」

と言うんで「じゃ、こんどうちの店に来たとき、

『この料理は箸で食べください』って言うから、

そうしたら、野田さん手づかみでたべなよね」と

言ってやったら、「なんだと」と、すこし

ご立腹のご様子だった。

 

 人生の先輩なのだが、いつもこんな風である。

 

さて、とんかつには、とんかつソースは

NGという結末で、おつぎは、鍋である。

 

なぜ、ポン酢で食べるのだろう。

 

鳥の水炊きなど、ポン酢以外、わたしは

みたことがない。

 

むかしから、鍋にはポン酢、あるいは

カボスとかスダチとかに醤油、

そんなものしか経験がない。

 

すべて、鍋の味がポン酢っぽくなるじゃないか。

わたしは、どうしても納得がゆかず、

もし、鍋をやるときは、塩と胡椒で

食べている。鍋にしみでる汁の味と、

塩と胡椒がびみょうにあいまって、

ほんとうの味がかもされるようにおもうのだ。

 

これも当為の文体ではないので、

個人的な見解。

 

 

で、いま、いちばん困っているのは、

お好み焼きである。あれは、ソースでもうまい。

 

しかし、ソースいがいにはなものかと、

バルサミコやマヨネーズや、いろいろ

試すのだが、おたふくのソースが

いいようにおもう。

 

ソースというスパイスは、

ほんとうはなくてもいいような気がするが、

粉系には、なんとなくソース、

そうおもってしまう、じぶんがまだ甘い。

 

日曜日の夜は、常連さんがお酒にあつまる。

 

そのたび、わたしは、なにか特別メニューを

作るのだが、その日は、ハンバーグにした。

 

業者に頼んで、二度挽きにしてもらった

ひき肉をぽんぽん叩いて焼く。

 

ソースは、醤油とバターとレモンにしたかったが、

店もすこし忙しかったので、

デミグラソースにした。

 

と、常連のOさんが、

「マスター、ご飯ないの」

と訊いてきた。

 

あいにく、その日は、ライス完売、

 

「ごめん、ない」

 

「なんだよ、ハンバーグには白米だよな」

 

めったに白米など召し上がらないOさん

なのだが、ハンバーグには白米らしい。

 

これは、きっとOさんにとっては、

当為の文体なのだろう。