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テリーヌ

 

ずいぶん前のはなしである。

 アフリカのある部族では、牛の黒の模様すべてに
名前がついているそうだ。
 そうでないと、どれがじぶんの牛だか、
判明しないから。

 その地にわれわれが住んだとしたら、
おそらく、そこに群れいる牛は、
すべて「牛」としか認識できないだろう。

 土佐清水港は、日本有数のカツオの漁獲高をほこる。
そこに水揚げされるカツオは何種類かあり、
すべてのカツオに、なんとかカツオと名前がある。

 その地にわれわれが住んだとしたら、
おそらく、種々の無数のカツオは、
すべて「カツオ」としか認識できないだろう。

必要がなければ名前をつけない。
名前は記号だ。
記号というのは物体を区別する道具、
これをむつかしく言うと、
「世界分節の差異化」という。

分節とはものの見方をいう。

世の中は、記号によって差異化されている。

ヨーロッパ人は、魚を差異化しないから、
ほとんどがフィッシュですむ。

テリーヌにしてしまえば、
どんな魚が入っても分節する必要がない。

デビルフィッシュなんていうと、
タコでもイカでもサメでもエイでも指す。
みんな、おんなじに見えるんだろう。

ナチスドイツが、ドイツ人を見れば、
すべての人の名前と階級を認識した。
差異化である。
が、ユダヤ人をみれば、
すべてが「ユダヤ人」にしか見えなかった。
ひとり、ひとりの人格が見えなかったわけだ。
だから、大量に虐殺ができたのだ。
ホロコーストとはテリーヌなのだ。

アメリカ人は、イラク人をふたつに分節した。
「敵」と「味方」である。
この「敵」を「テロリスト」と名付けた。
そして、テロリストひとりを殺すために、
民間人27人がその犠牲にあうという試算を
知りながら空爆をつづけた。
だから、いっぱい民間人が死んだ。
つまり、ふたつに分節しながら、
イラク人は、イラク人としか認識しないから、
やっぱりイラク人のテリーヌができた。

戦争というのは、敵の「顔」を剥ぐことである。
ひとは、ひとりずつの「顔」を有するが、
つまり「顔」があるということは、
世界分節の差異化が行われたことである。
「顔」のあるひとを射殺することはできない。
しかし、テリーヌなら殺せるのだ。


沖縄のことを悪くいうアメリカの政治家がいる。
いま、沖縄がテリーヌになっている。

見えないものは見えないのだ。