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チュトワイエ

 フランスのことは

よく知らないのだが、「チュトワイエ」という文化がある。

 

フランス語では、「あなた」を指す言い方が2種あって、

距離がある人や目上の人には「ヴ(vous)」、

 親しくなると「チュ(tu)」で話すらしい。

 

日常的には「ヴ」から始まって、親しくなり、ある日どちらかが、

 「チュトワイエにする?」なんて言い出して

堂々と「チュ」で話すようになる。

 

 チュトワイエとは、「チュで話そうよ」という意味である。

 

つまり、フランスは、一事が万事、契約社会なのだ。

 

 それに付け加え、パリを中心に半径50キロの

範囲に文化が集中しており、その圏内に、

図書館も博物館も美術館もある。

そこから離れれば、ワインの国、

おおいる葡萄畑と農業の国となるのである。

 

 だから、どこで暮らしているのか、

どこで生まれたか、で、階級の格差がきわめて

明確に区別される。そこでうまれた考量が、

「文化資本」である。

 

つまり、階級差の指標をいう。

身のこなし方、話し方、食べ方、趣味嗜好、

すべてのそのひとにそなわっている文化的なもの、

それを意味する。

 

これを提唱したのは、ピエール・ブルデューという

ひとであるが、ざんねんながら、

わが国では、こういうかんがえかたは希薄である。

 

 もっとも、契約社会、というのも苦手である。

 

契約とは、「権利義務」をきちんとする、という

ことであるが、どうもそれがうまくゆかない。

 

「まあ、まあ、そこはそこで」と、

薄笑いを浮かべ、掌でひとをあおぐようなしぐさをしたりする。

 

 

渡邉洋三というひとが「日本はウェットな社会で、

情緒を重んじる。これはこれですぐれた日本人の

資質である」と語っている(「法とは何か」)が、

きっぱりとした取り決めをせず、

あいまいにことをすませようとする、

この根本はなんだろうか。

 

もし、あいまい性が従属矛盾であるなら、

その主要矛盾があるはずである。

 

その主要矛盾を解き明かすことこそ、

日本人の資質を理解するうえで肝心なことにおもう。

 

 

わたしは、その主要矛盾のひとつに、

「農耕民族性」をあげる。

 

 いちめん海に面した小国の

やわらかい自然のなかで培ってきた農耕民族性こそ、

われわれの発想のルーツではないかと、

つねづねおもっている。

 

 

 まず、言語があいまいである。

文末決定性というかっこいい言葉があるが、

なんのことはない、はっきり言わないのである。

 

 農耕民族は、敵が基本的におらず、みな、

いっしょになって田を耕す仲間なのである。

 

そこに、緊迫した言語がうまれるはずはない。

 

「いい天気だなぁ」「そうだなぁ」

って言っていれば、一日が過ぎるのである。

 

「お前、言わなければわからないのか」

なんて、言ったこともあるし、言われたこともある。

 

欧米言語は、「言わなければわからない」のであるが、

日本語は、言わなくてもわかるはずだ、が前段にある。

 

みんな仲間だからである。

 

イエス・ノーをまず最初に他者にたたきつけてから、

じぶんの考えをエンエン語る言語とは、

おのず根本的にちがうのだ。

 

 

「えー、あー」ってぼんやりした発話で

首相をやっていたひともいるが、

はっきり言わなくてもいいのも、

それがいいときと、とても困るときがあるのも、

事実ではあるのだが。

 

 

「なんでわたしだけを怒るんですか。

みんなやってるじゃないですか」

 

これなんか典型的な農耕性である。

 

 

「ね、これ買って、みんな持ってるから」

 

この「みんな」は、

ほとんど二、三人であることが多い。

 

 

こういった農耕民族性は、老若男女にそなわる

性向だから、たとえば、世の主婦が商店街で、

長々と立ち話をしている光景をみるが、

ああいうひとたちは、おしゃべりが好きでも、

こと議論となると押し黙ってしまう。

 

おしゃべり好きの議論ぎらい、というわけだ。

 

コスチュームにもそれがあらわれる。

コスチュームというものは、もっとも身近な他者である、

というのは、鷲田清和さんの言説。

 

われわれは、他者からみたじぶんという発想で

生きているから、そのコスチュームによって、

じぶんを意識しているのである。

 ようするに、

つよい自我がないためなのだが、

だから、みんなといっしょとおもいつつ、

すこしアッパーミドルな恰好をしたい、

そういう希求がブランド品を買うエネルギーになる。

 

こういうことを顕示的消費というのだが、

これも、農耕民族性のあらわれである。

 

 

ようするに、ブランド品を

多量にぶらさげているひとほど、

農耕民族性が濃厚だという証である。

 

 

しかし、フランス文化ではないが、

さいきんの、モラルハザードをみていると、

電車の中でマックを食べたり、

平気で路上にタンツバを吐いたり、

ゴミを捨てたり、

そういう輩が多くなっている。

 

 

そろそろ、日本も契約社会のシステムを導入して、

きちんとした道徳のある国に

していったらどうだろうか。

 

 

ね、そこの君、そんなことしていたら、

道徳的じゃないよね。

 

だから君のこと「馬鹿」って呼んでいいかな。