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文脈依存なのだろうか

 サスペンスドラマというもの、

なぜ、エンディングは海辺のがけっぷちなのか、

また、そこに探偵らしきひとと犯人が

対峙しているのか、ま、よくわからないけれど、

我われは、そのシーンが来れば、

あ、そろそろ終わりだなとおもうし、

じつは、ドラマの途中から、ラストは

がけっぷちの海だな、とおもっているのではないか。

 

 私たちの人生というのは、

その場その場で何が起きているか

じつは、はっきりとわからない。

 

 エンディングがあって、そのときに

あのときのあの場面は、そういう意味があったのかと

事後的にわかるものだという。

 

 水戸黄門や暴れん坊将軍や

はたまた、サスペンスドラマにしても、

エンディングは「助さん角さんもういいでしょう」

いわゆるストックフレーズなので安心して

喫緊の場面もゆっくりと茶などのみながら

テレビを見ることができる。

が、じぶんの人生のエンディングは

土砂崩れなのか、老衰なのか、病死なのか

わからないから満腔の安心はできないが、

しかし、けっきょく終わってみなきゃわからない、

というものらしい。

 

これを文脈依存的というのだそうだ。

 

 サスペンスや刑事ものの小説にはなしを

ふると、やはり、最後は犯人がつかまる、

ということを読者ははなから信じて疑わない。

 

 つまり、文脈依存的な読書をしているのだ。

 

 その途中に、レッドへリングといって

読者をだまそうとするレトリックがある。

 

 レッドへリングとはニシンの燻製という意味で、

猟犬の嗅覚をにぶらせるというのが原義だが、

サスペンスものには「あ、こいつ犯人じゃん」という

ほのめかしをいれるものなのだ。

で、けっきょく、こいついいやつじゃん、

というオチがつくのだが。

 

 レッドへリングは文章の真ん中あたりに

あらわれる。

 

 最終あたりにこのレトリックをやられると、

読者が混乱するので、それはNGらしい。

 

 が、最後は犯人みつかるよなっていう

筋書をうらぎるような本もある。

 

 たとえば、清水潔の『殺人犯はそこにいる』。

 

 5人の少女を誘拐し殺害した「北関東連続幼女誘拐殺人事件」を

取材したドキュメントである。

 

 犯人は捕まっているが、どうも冤罪らしい。

 

で、清水は独自の調査で、こいつが犯人、という

ところまではつかんでいるのだが、

警察はすでに犯人がいる、ということで

さっぱり動かない。

そして、その犯人らしき男はまだ

娑婆でのうのうと暮らしいてる、という内容なのだ。

 

 つまり、殺人犯はそこにいる、のである。

 

 これを読んで、その胸糞悪さは言いようもない。

 

 捕まって、はい、すっきり、と言いたいじゃないか。

 

 こういう空虚感というものは、

わりに街のいたるところにある。

 

 悪いことしたのに、そして、それをみんな知っているのに

お咎めがないという事況である。

 

 どこの街かはもうしあげないが、駅の

東と西とに商店街がわかれている街のはなしだ。

 

 東側の裏通りの商店事務所では会計担当の男が

使い込みをして、仄聞するところ3千万円くらいらしいが、

ギャンブルに投資してしまい、二進も三進もゆかず、

自社ピルを手放し、妻の実家から借金して街を追われた。

 

 また、その大通りの商店でも、

事務担当の、放送担当でもある女性が

使い込みをして街を追われた。

 

 その女性はどうも離婚されていて、

金に困ったのではないというもっぱらのうわさである。

 

 そして、駅の西側では、

町会長がおかしかった。

 

 なぜなら、町会長が旦那で、会計がその奥さんで、

回覧板の係りが奥さんの母で、と一家総出で

街の管理をしていたのだ。

 どうかんがえても、搾取だろうとだれもがおもう。

 

案の定、わりに高め設定の料理屋で

町会のあつまりがあれば、

会費は1000円で、あとは町会費でまかなう。

 

 また、回覧板の係りの母親には月に7万円の手当てが

あてられていた。

 

 それによく店屋物をとっていたらしいが、

町会費との関係にはエビデンスがない。

 

 あんまり、町会費を使い込むので、

さすがに住人が怒ってこの三人を辞めさせたという

ことである。

 

 このとある街はどこだとはもうしあげないが、

いたるところで、このような犯罪が

いともかんたんに起こっているし、

そして、なにより、この連中のだれひとり、

お咎めがないのである。

 

 法的措置がなされていないのである。

 

 「殺人犯はそこにいる」ではないが「犯人はそこにいる」のである。

 

東側の使い込んだ、会計係りとアナウンスの女性は

いまどこに住んでいるのか不明であるが、

西の元町会長は、しっかり厚顔、そのまま住み続けている。

 

みんな知っているのに、だれも捕まらない。

 

人生、文脈依存であるなら、この連中が

最後、どんな終わり方をするのか。

 

そしてこの煮え切らないいまの状況をどう理解すればいいのか、

情けなくなる。

 

そういえば、この三件の共通項は、

お咎めなしということと、これにかかわった女性すべてが、

美人とはかけはなれた顔立ちだったが、

それは、関係ないかな。

 

ま、人生、サスペンスみたいにすっきりしないものなのである。