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津久井湖漂流

 まだ、次女が生まれていないときの話である。


 当時、職場の同僚と、連休となると、
家族ぐるみで旅行に出かけた。

 4、5世帯で移動するものだから、
総勢15人くらいの集団となるときもあった。


 五月の連休に、車4台で山梨にゆき、
その帰りに津久井湖に寄った。

息子が「お父さん、あのラクダに乗りたい」と言ってきた。

「ん。どれ」

「あれ」

それは、湖にうかぶスワンであった。


「あのな、あれは白鳥、ラクダじゃないからな」

と、しっかりと息子をたしなめてから、
われわれは、息子と娘をつれてスワンに乗った。


息子の母は、ほかの家族とともに、
遊覧船でのんびり周遊ということになり、
われわれだけは、人力のアナログな装置に
便乗することとなったのである。


はじめてスワンという乗り物に乗ったのであるが、
右に息子、左に娘を配しペダルを漕がせ、
わたしは、フック船長よろしく、
ハンドル握っていざ出発である。

が、このスワンというシロモノは、
ほとんど前に進まず、湖面をただぴちゃぴちゃ
音を立てるだけであった。


と、妹が「ハンドル持ちたい」と言うので、
わたしはいやいやながら、娘と交代して、
ペダルを漕ぐはめとなる。

しかし、ほとんど前に進まない。

簡単にもうしあげれば、徒労である。

と、娘が「ねぇ、なんか動かなくなっちゃった」と言う。

「え、どれ」と、わたしがハンドルを握ってみると、
ハンドルはくるくる回るのだが、
梶がまったく効かないのだ。

つまり、われわれ三人は、操作性の皆無になった、
ただ、水面に浮かんでいる白鳥の中に
取り残されてしまったということなのである。

父として、それでも立派な仕事をしようと、
白鳥のうしろまで手をのばし、
針金の部分、ようするに梶を操作する部分を
いじってみたが、なんにも変化はしない。

じゃあ、手で水を掻いてみようとしたが、
そんなことじゃ、この難物はびくともしない。

わたしたちはもう漕ぐこともせず、
五月の津久井湖の風にただ吹かれている
だけとなった。

目の前にいたボートの釣り客が、
いまでは、ずっと遠くに見える。

ということは、わたしたちは、
肌寒い風に、流されているということなのだ。

しかし、子どもふたりは、
この状況に、平然としている。たいしたものだ。

つまり、われわれは、津久井湖という人造湖の
まんなかで漂流している、ということにほかならない。

と、そこにひとりでボートを漕いで、
帰ってゆく人に出会う。


「すいませーん。帰るんですか」
と、わたしが訊くと、
「そうだよ」と答える。

「あのー、これ動きがとれずに困っています。
係りのひと、呼んでもらえますか?」

「ん。あ、いいよ」
と、ボートのひとはそれきり桟橋のほうに
消えていった。

もちろん、携帯電話などない時代である。
スワンの持ち時間は30分。

とうに時間超過である。

わたしたちは、どんどんと津久井湖の
真ん中に、ゆらゆらと流され、
ほんとうにボートのひとが係りを呼んでくれたのか、
それもわからずに、ここにこうやって
じっとしているしかなかった。

そのときである。

ずいぶん遠くに遊覧船が見えた。

と、どうしたことか、ふたりの子どもたちは、
スワンから身を乗り出して、
「お母さーん。お母さーん」と、
ふたりで叫びだしたのだ。

「馬鹿者! こんなところで騒いでもしかない。
しずかにしろ」と、わたしはふたりの子を
もとの椅子に戻して、黙らせた。

やはり、ひどく心配していたのだろう。

が、こんな父親のまえで、うろたえたら、
また、なにか言われるか、叱られるとおもったのか、
だから、じっとしていたにちがいない。


しかし、遊覧船を見た刹那、
その緊張感からいっしゅん解放され、
母親を切望したのだろう。

あのとき、あ、この子たちとは、
おれはずいぶん距離があるのだなと
認識した現場であった。


と、しばらくして、
湖面をひとすじの白波を立てた、
モーターボートが
わたしどものスワンめがけて進んでくるのが見えた。


「これかぁ、動かないのは」
と、係りの男性の声。


「そうです。そうです」

「待ってろな」
と、その男性はスワンのクビに縄をかけて、
「ちょっと捕まっててくださいね」と言い、
スクリューのついたボートを反転させて、
スワンを牽引してくれた。

牽引した瞬間、われわれ親子三人は、
きゅうに身体がうしろにのけぞらされた感じにおそわれる。

やはり力があるんだろう、
モーターボート、それに引きずられたスワンは、
津久井湖の水面を
流星のようなものすごい速さで
一直線に桟橋まで戻されていった。

たぶん、あんな速さのスワンを見るのは、
湖にいる客だれもが未曾有だったのだろう。
たいそうな視線を感じながら、わたしたちは、
ようやく船着場にもどることができた。


船着場では、ほかの連中が、
フェンスに寄りかかりながら、私たちを見ている。

「どうしたんです」

「いやぁ、スワンが壊れて漂流していたんだよ」

「またぁ、また作り事ですか」

「ちがう、ちがう、ほんとうよ」

と、いつも冗談を言っているわたしの話を
信用しない連中であった。


わたしは、陸にあがってすぐに、
もぎりのうら若き女性のところに行って、
「どうしてくれるのよ、怖いおもいはするし、
寒いおもいもするし、手も汚れちまったよ、
どうすんのよ」と、すこしつよい口調で言ったら、
その女性は、「あのぉ、どうすればよろしいでしょうか」
と、訊くものだから、わたしは言下に答えた。
「ん。金かえせ」

で、わたしの財布には700円という大金が
もどり、津久井湖漂流事件は、一軒落着となった。


そのあと、じぶんの記念のお土産に、
しいたけの原木を購入して家路についた。

しいたけの原木からは、無数のしいたけが
生えるとふれこみにあったので、わたしはたのしみにしていた。

直径30センチくらいの原木である。

が、待てど暮らせど、しいたけはいっこうに
生えてこなかった。


わたしは、騙されたとおもった。

湿気のある部屋においてあるから、
説明書どおりである。

数週間、わたしは原木を放置しておいた。

と、それはそれは驚くことがあったのだ。

しいたけの原木からは、たったひとつの、
その原木とおんなじおおきさのしいたけが、
できているではないか。

まるで、インデペンデンスデイの
宇宙からの円盤のようなしいたけができていた。

とても気味悪いので、
わたしは、原木ともどもゴミ箱に捨てたのである。