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高度文明のもたらすもの

わたしの母の夢は「家でお湯が出る」ことだった。

わたしの幼いころの夢は「風呂にシャワーがある」ことだった。

 

いまじゃ、どこの家庭だってお湯はふんだんに出るし、

シャワーのない風呂なんてありゃしない。

 

文明は進むところまできた。

 

まだ、わたしが幼稚園のころ、

台所に白いおおきな電化製品がきたが、

たぶんあれが冷蔵庫だったのだろう。

 

それまでは食材は台所の羽目板をはずして

保管していた記憶がある。

 

さいきんの文明のありがたさの一つは

ウォシュレットだ。

あれは快適・便利。

 

いまは、家の中でほとんどの情報が入手でき、

買い物もネットやウーバーイーッで事すむ。

 

ようするに、家から出て何かを探そうなんて

意識は毛頭なくなっているのだ。

 

オーグメンテッドリアリティはどこまでも進み、

ひとを快適のコクーンに閉じ込めてしまった。

 

 

なぜ、人類はここまで成長したか、なぜ、アフリカから出たか、

なせ、森の中にいすわらなかったのか。

 

その原動力は「好奇心」にあるとされている。

 

不便すぎたのだ。

 

いまの若者の好奇心はインターネットにうってかわった。

ゲームをしたり、ググったり。

 

それを「内的好奇心」と呼ぶとすると、

内的好奇心は人類の進歩に微塵もかかわらない。

 

すべてを家の中で済ましてしまうからだ。

 

と、ひとは趣味をもたなくてもよくなる。

夢もなくていい。夢らしきものは調べれば出てくるからだ。

脳内コントロールだけですべて解決できる。

 

だから、純粋な好奇心は作動しない。

 

なんでもあるからね。

 

純粋な好奇心は身の回りの不便が引き金になっているのは

明白である。

 

ピーターティールというひとが、

ポリネシアに養生国家を作っているが、

「ゲームとドラッグでひとは幸せになる」と説く。

 

記憶のない脳内のコントロールだけでよい、

ということだ。

 

こんなデジタルでいいなら、

にんげんはロボット以下だとおもうが、

それで、楽しけりゃいいじゃん、という

ひとがほんとにいるんだとおもう。

 

高度文明がもたらした極北は、

けっきょく、にんげんをだめにする、

という事情だったのではないのだろうか。

 

安全、快適、便利を追求し、ニンゲンにもっとも

有意味なための文明こそが、ニンゲンをもっとも

くだらない生き物に変容させてしまったということなのだろう。

 

そういうくだらない生き物の価値観は、

このコクーンのなかで、限られた空間のなかでの

利益の最大限の有効化につきる。

 

つまり、コスパがいいことが

そのニンゲンの生きる統合軸なのだ。

 

できるだけ、この場所にいながら

できるだけ、得をしたい、という考量だ。

 

では、そんなニンゲンにならない処方箋はなんなのか、

ひとつは、虫と仲良くなる、ということもその一手だが、

それは、いまさら無理かもしれないから、

せめて、便利さをみずから断ち切ることではないだろうか。

 

たまには、携帯をつかわない、とか、

テレビは見ない、とか、

エアコンはつけない、とか。

 

ニンゲンの楽しさのために、わざわざ

不便を希求するという生き方、

まるでパラドクスの実践みたいだが、

たとえば、キャンプや山登り、なども

それに近い行為かもしれない。

 

しかし、外に出たがらないヒトには無理か。

 

うちの娘の家は新築で、

床暖房が完備されている。

 

が、吝嗇家であるわが娘は

電気代がかさむのでいっさいつけないそうだ。

 

それもどうかとおもうが、

それによって好奇心でも生まれてくれれば

さいわいである。