「あんたなんかにゃ、わかりっこないわ」
こういっておしゃまさんは、赤と白のセーターが
よく見えるように、あなの中からおきあがりました。
「だって、くりかえしのところは、
だれからもわからないことをうたってるんだものね。
わたし、北風の国のオーロラのことを
考えてたのよ。あれがほとんにあるのか、
あるように見えるだけなのか、
あんた知ってる?
ものごとってものは、みんな、とてもあいまいなものよ。
まさにそのことが、わたしを安心させるんだけれどもね」
おしゃまさんはそういうと、また雪の中にひっくりかえって
空を見あげていました。
(『ムーミン童話全集』 トーベ・ヤンソン より)
ムーミンはムーミントロール一族の子どもである。
冬眠していたはずのムーミンだが、
どういうわけか起きてましって、
オーロラをみてしまう。
しかし、あのオーロラが、
ほんとうのものか、あるいは幻想か。
「おしゃまさん」は、それが、事実でも幻想でも、
それはどうでもいい、むしろ、どうでもいい、あいまいなことが、
じぶんを安心させるという。
フィンランド発の童話のような
あるいは、おとぎ話のような、いや純文学のような、
このものがたりには、そういう重みがある。
フィンランド。人口、520万人。
北海道よりすくない。(北海道は550万人)
そのくせ、軍隊は、自衛隊よりも、人数は多い。
これは、ロシアから、過去からいまにいたるまで、
侵略や圧迫を受け続けているからにほかならない。
だから、ロシア情勢をしるには、
フィンランドに行くのがいちばんだと
青山繁晴さんが言っていた。
そして、フィンランドのひとは、わりに
日本人を尊敬しているというのも
青山さんが言っていた。
戦争でいちどでもロシアに勝ったのは、
日本だけだからである。
島国ニッポン、船の戦いはおまかせである。
・いまや夢むかしや夢とまよはれていかにおもへどうつつとぞなき
建礼門院に仕えた右京大夫という女官の歌。
建礼門院徳子、清盛のむすめ、高倉天皇の妻であり、
安徳天皇の母である。
天皇の母には、宮中の門の称号をあたえるが、
建礼門は、宮中にあってその中心にそびえる
おごそかな門である。
権勢をきわめた建礼門院だが、
源氏のクーデターにあい、権力をうばわれ、
あげくは、大原の寂光院で尼となり、
平氏の菩提をとむらうという数奇な人生を
送ったひとである。
得度したのは長楽寺。
八坂神社のすぐ裏手にある。
そして、比叡山のふもと2キロの
寂光院で余生をおくった。
ふしぎなことに、長楽寺も寂光院も
何年かまえ不審火で全焼している。
京都の不審火はこの二寺だけである。
ま、それはそれとして、
寂光院におもむくのもたいへんな時代、
右京大夫は、女院様にお会いするため、
命がけで出向くのである。
そして、すっかり変わり果てた彼女をみるのだ。
むかしのきらびやかなお姿が夢だったのか。
いまの、墨染姿の質素なお姿が夢なのか。
どちらにせよ、現実はないものだ。
彼女の悲痛なおもいが、
この三十一文字におさめられている。
「いかにおもへど」と語る彼女は、
これこそが「あいまい性」なのであって、
どう処理したらいいかわからないカオスのなかにいた。
「おしゃまさん」が、あいまいなことが
安定させるのよ、と言ったこととはうらはらに、
右京大夫のまえにある、
むざんな現実をつきつけることで
ぎゃくに、不安定さを
植え付けさせることになる。
しかし、「いかにおもへどうつつとぞなき」と、
語った右京大夫は、「うつつとぞなき」ではなく、
これこそが「うつつ」であったわけである。
『平家物語』では、清盛の三男、
平宗盛が八葉の車で護送されてきたとき、
平家はつぎのように語る。
「さしもおそれをののきし人の、
けふのありさま、夢、うつつともわきかねたり」
いま、この世の中は、景気はたいしたことないけれども、
平穏な生活をおくることはできている。
しかし、いつ、夢か現実かわからないようなことが、
起きるともかぎらない。
そのとき、われわれは、そのほうが安定するさ、
なんて、「おしゃまさん」のような
達観でいられるものだろうか。
ちなみに、わたしの知り合いの女性は、
オーロラをみにいったそうである。
うまく、オーラらに出会えた彼女の感想は、
このようであった。
「わたし、死んでもいいわ」