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信じなくてよい

霊魂を信じる、信じないという話と、
「そういう出来事にあう」という話はべつものである。


 ただ、我が家では日常的に「そういう出来事」がある、
というだけである。


 父が亡くなってすぐ、そのつぎの夜くらいだったか、
三階の娘たちの寝る部屋の窓のむこうから、
「ナナコぉ、ナナコぉ」という声を
ふたりの娘が聞いている。


「ナナコだれかが呼んでるよ」とユイが言い、
ベランダに出てもだれもいない。

 いるわけない。三階だから。

 それから数日後、息子が、

「おとうさん、なんでおれの部屋に入ってくるんだよ」
って、言うから、
「おまえの部屋なんか、ここ数年はいったことないぞ」
と、そしたら息子がつづけて
「おれと目が合ったとき、『おぅ』って言ったじゃないか」
と、言った。

 それを聞いた息子の母が、
「それ、おじぃちゃんだ」
と、すこし弾んだ声で言った。

 「おぅ」というのは父の口癖であった。

 わたしは、我が家では、死にながら生きている、というような
そんな空気を感じている。

 母が亡くなって、翌日、わたしは車で、
病院にさまざな書類を取りに向かったときだ。

 坂をあがったところが、母の妹の家なのだが、
そこで、うしろの座席が、ザッザ・ザと大きな音を立てたのだ。

 わたしは、まず、大型の鳥、カラスが入り込んでいるのかと
おもった。

 じつは、カラスではなくて、後部座席の枕がふたつ、
立ち上がったのである。

 うちの車は、後部座席の枕は通常、
折りたたんであり、人力でもちあげるしかけとなっている。

 だれもいないのに、このふたつの枕が
立ち上がったのだ。

 わたしはすかさず、母だとおもった。

「なんだ、母さんいたのか、いまから、
書類を取りに行くからね」と、だれもいない
後部座席に声をかけて、
神奈川の病院にむかった。


 このあいだ夜に、仏壇に線香をあげ、
声をかけた。

 「たまには、母さん逢いたいね」と。

 と、すぐに家のインターホンが三回鳴った。

真夜中である。

 わたしは、覗き窓から外をみたが、
もちろん、だれもいなかった。


 それが、母のしわざかどうかはわからない。

 ナナコがまだ結婚するまえ、
三階で、ナナコとふたりで、父と母の思い出話をしていたとき、
空中で、「チリン・チリン」と、それはそれは、
美しい鈴の音がしたのだ。


 娘は、目をまん丸くして
「なに?」と言った。

「聞こえたろ? おばあちゃん、来てるんでよ」
と、わたしが言うと、娘は、サーッと鳥肌を立てていたが、
そういうことは、日常にあるものなのだ。


今年の正月は、賑やかだた。

ふたり娘のご亭主もそろってうちにいて、
そこに息子とスコティッシュフォールドと、おまけのように
わたしがいたものだから、我が家の三階は、
駅のホームのようになっていた。


そのときである。

家のインターホンが三回鳴った。


もちろん、だれもいない。
たぶん、母だろう、とわたしはおもった。

妻や息子、娘はどうおもったかしらないけれども、
わたしには確信にちかいものがあった。


さて、妻や子どもたちに言っておくが、
わたしがこの世を去ったとき、
おれは、ふだんなにかとうるさい男だったが、
死んだあとは、しずかにしているから、安心しておけよ。

霊魂なんか信じなくていいからな。