かなり前の話である。
今井美樹のアルバムをもらった。
娘の母からである。わたしの誕生日のお祝いらしい。
ビニール袋に入っていただけで、リボンもメッセージもないものだから、
お祝いかどうかはわからない。
そもそもわたしは今井美樹のファンではないし、
ユーミンのカバー曲だというから、むしろ、これは、妻の好みなのである。
どうも、わたしが聞き飽きたころに、
この寄贈品をじぶんがぶんどろうとしているのではないかと、
そんな邪推が起きるのもしごく当然のことなのである。
ひょっとすると、これは「塩」なのかもしれない。
しかし、今井美樹の声はうつくしい。ギフトだ。
妻の声の良さは布袋さんも言及している。
声質だけは、どうすることもできない天性のものである。
うっすらと微笑しながら歌う彼女の姿が容易に想像できる。
にんげんの脳は、右半分が感性、つまりパトス脳、左半分が理性、
ロゴス脳に分離されていることは、周知である。そして、
脳の信号は屈折をしているから、左半身は、パトス脳が支配している。
右半身は、その逆、ロゴスの領域だ。
彼女の澄んだ歌声は、つまりは、左半身が反応してインプットされる。
つまりは、左耳がそれを聴くのである。雑音は、右耳が引き受ける。
たとえば、虫の声など、日本人は風流の代名詞みたいに左耳が反応するのだが、
欧州人は、ぱかだから、あれを雑音、つまり道路工事の音と区別つかず、
右耳からインプットされるという。なんと、悲しいことか。
ベンツなんか製造してないで、虫の声に優雅さを学べ。
ちなみに、電話で恋を語るときは、左耳に電話を持ってゆき、
仕事の電話は、右耳に持ち換えるというのがにんげんの本能的所作らしい。
話がずれてしまった。
ようするに、わたしは、運転中に、中央フリーウェイを聴きながら、
そんなことをおもっていたのである。
いま左耳から、このメロディは流れ込んでいるんだなぁ、なんて。
ん? と、すると、わたしは、
ミスターチルドレンとか、ビーズとか大嫌いなのだが、
ことビーズなんか、歌い出しが、「うりゃ~」とか、
「うぉ~」とか、掛け声のような、雄叫びのような、
そんな悲鳴からはじまる歌ばかりじゃないか、
あれは、わたしには「雑音」なのであるが、
ということは、ああいう、バイオレンスな曲は、
わたしには右耳からインプットされていたのではないか、
と、改めて気づく次第なのである。
そうすると、たとえば、ターザンのあの叫びは、
はたして、おれは、右耳で聞いているのか、あるいは、
左か。うん、微妙じゃないか。
あ~、あ、あ~。
ただの雑音か、けものたちを統御する美声なのか。
はたまた、欧米人はターザンのあの声をどっちの耳で
聴いているのか、研究の余地がありそうだ。
さいきん、宇多田ひかるの、ファーストラブを聴いている。
あの曲は、まちがいなくゴーストライターがいるんだろう。
詩もメロディもよすぎる。
悲しいラブ・ソング、なんて語彙がころっと生まれるわけがない。
でも、うつくしい。わたしは、ユーチューブという
すこぶる便利なアプリ(?) でこれを聴いてるのだが、
やはり、今井美樹とおなじく、
左の耳から歌姫の声をインプットしているのだ。
だが、宇多田の画像だけは、右目で見ているのである。