まだわたしが高校の教諭だったころ、
「この子見てください」って女子がひとりの男をつれてきた。
たしか、一階の生徒のくつろぐスペースで見たとおもう。
だいたい、男子を見るのは好きじゃなぃ。
なんで、そいつを見てくれと、女子が言ったかもわすれた。
しかたなく、左方のすこしうしろ、つまり肩甲骨あたりに
触れて、なにがあるか見た。
じぶんに、どんな能力があるか、あるいは、
それがどれだけ正しいのか、じぶんでじぶんがわからない、
けれども、なんとなく向こうから語るものがあるから、
わたしは、それを答えた。
「きみさ」
「はい」
「大好きだった先生、女の先生だ、いたでしょ」
「え、はあ」
「その先生、亡くなっているんだけれども」
「はあ」
「その先生ね、白い服着て、『湖ににゆくな』って言ってるよ。
なんか、湖に行くことある?」
わたしも、なんでじぶんが、こんな唐突なことを言いだしたのか、
きゅうに湖だもんな、あるわけない。テキトーなのだ。
「いえ、ないです」
「だよな、ま、いいや、そんなことしかわかんない」
そのとき、四五人はわたしを囲んでいたのだが、
それきり、みなと別れて、わたしは職員室にもどった。
で、その翌日である。
昼ころ、わたしあてに職員室に電話がかかってきたのだ。
めったにないことである。
訊くと、あの男子の母親からだという。
わたしは、まずいことをしたとおもった。
いわゆるクレームだとおもったからだ。
「はい、もしもし」
「わたし、○○の母親ですが」
「はい」
「じつは、こんどの夏休みに、山中湖に旅行に行くことになっているんです。
そのことは、あの子には行っていません。
そして、小学校二年生の担任の先生が
亡くなっているんですが、あの子、゛大好きだったんです。
たぶん、その先生が教えてくれているじゃないかと。
あのぉ、旅行とりやめたほうがいいでしょうか」
わたしは、わたしが言ったことに責任を持たねばならない
ような気になってきた。
ここで取りやめたほうがいいですよ、とも言えないし、
なんとなく頭にうかぶことをご返答した。
「そうでしたか、水に近づかなければいいんじゃないですか。
ボートに乗るとかしなければ」
「あぁ、そうですか、ありがとうございます」
と、母親は電話を切った。
すべてテキトーに答えたわけだ。
このテキトー感を、霊感というひともいるかもしれないし、
能力というかもしれない。あるいは、偶然。
ひょっとすると、お導きと呼ぶのかもしれない。
しかし、はっきり言えることは、じぶんにはわからない、
ということである。