練馬の予備校の春の講習会、3日目であった。
予習?? そんなもんしない。
もう、何年もやってきたのだから、
なにをどう説明するか、なにをどう覚えさせるか、
それは、すでに頭に焼き付いているのである。
こと練馬の生徒さんはノリがよくて、わたしの
好みの授業ができている。
現代文では、もうすでに、ジャック・ラカンの言説とか、
モーリスブランショの語ったこととか、そういうことを
板書して、理解してもらっている。
が、現代文より古典の参加者のほうが多いのである。
なんで、現代文をとらないのか。
古典なんか、たしかに、古文が読解できるようにはなるが、
ただ、それだけ。でも、現代文を受講してもらえれば、
いろいろ、哲学、倫理学、心理学の入口を学べて、
にんげんが、大人になれるというのに。
現代文は、にんげんを成長させる、それに気づいてほしいね。
で、きょうも古典から参加する生徒さんが数人いた。
なんとなく、そのひとりに訊いてみた。
「ここで、英語はだれに習っているの?」
物静かな女子である。
「英語はここでは習っていません」
「あれ。じゃ、ここではなにを受講しているの?」
「これだけです」
「古典だけ?」
「はい」
「じゃ、ほかの科目は?」
「予備校でおそわっています」
「・・・・」
あれ、おれ、どこで教えているのかな。