むかし、星野さんが言ったことだ。
「男ってお金があると、高級な家に住み、高級な車を買うだろ。
だいたい、金があると、家と車なんですよ。
でも、ぼくは、家もいらないし、車もほしくない。
だから、お金いらないんです」
ふーん、なるほど、わたしはあのとき、
すっきり感心してしまって、そーか、
家も車もほしがらなければ、お金はいらないのかって
納得したことがある。
でも、星野さんは、買取のマンションに家族で住んでいたし、
ボルボやベンツを乗り回していたけれど。
ひとり娘の響子ちゃんは、それでも、
家が狭いことを苦に、「わたしの部屋が欲しい」って、
父に哀願したこともあったそうだ。
そのとき、かれは、
「この家、ぜんぶが響子のお部屋なんだよ」って、
ま、うまいこと言ったもんだ。
なにしろ、娘が遊園地に行きたいって言えば、
ちかくのマクドナルドに出かけて、
そこにあったジャングルジムのようなもので
遊ばせ、それを遊園地と言っていたことを
おもうと、「ものは考えよう」という常套句が
脳裏をよぎったものである。
星野さんは、せっかくの小学校の先生、つまり公務員だったのに、
それを辞めて、大学の講師の依頼も断って、
ずっと高校の非常勤講師でいた。
仕事をしたくなかったからだそうだ。
奥さんから、もうすこし働けばって言われると、
これいじょう働くと、ふつうのひとになっちゃうじゃないか、って
そう言っいたそうだ。
ま、それに、うなずいている奥さんもじつに変わっているとおもうが。
きょう、珈琲屋さんに寄って、
そこで、小半時、しゃべっていたのだが、
「もし、お金があって時間があったとき、なになされます?」
と、パートの女性から訊かれた。
じつは、わたしはそのとき即答できなかったのだ。
なぜなら、時間も金もないからである。
「時間があって、お金があって」
という事況を想像したことが、ここ数年、
想像したことがなかった、ということに、
むしろ、じぶんで喫驚しているぐらいである。
「時間とお金のつぎにやりたいこと、
それがそのひとの、ほんとうにやりたいことらしいですよ」
と、彼女は付け加えた。
そーなんだ。知らなかったよ。
はて、さぁ、時間と金がある生活。うーん、
家もぼろいけれどあるし、車もぼろいけれどある。
じゃ、なんだろ。
そうだな、横にはべらすひとでもさがすか。
なんと、そんな情けないことしかおもいつかなかったのである。
これは、この数年、創造的な生活をしてこなかったひずみが
いま現前しているんだ、ということに
いまさらながら、気づかされてしまったということかもしれない。
やだね。
さて、むしろ、 わたしは、みなさんに問いたい。
お金と時間があったら、そのつぎになにをしたい?