由来、マスクとリップクリームは
人類滅亡の前兆だと語ってきたが、
コロナが流行してからマスクは当たり前になって、
わたしの主張がゆらいでしまったが、
そもそも、マスクをしなくては生きられない、
リップクリームをつけなくては
生きづらい、というのは、
この地球上で「素」で生きられなくなった
象徴的できごとだとおもっていたのだ。
江戸時代の人びとがマスクをしたり
リップクリームつけたりしたひとはひとりとて
いなかったはずである。
もちろん、昭和生まれのひとだって。
リップクリームが普及したのは、
記憶にたよれば、わたしが高校時代のころだったのじゃないだろうか。
いま、歩きスマホがやたらおおい。
いま、マスクではなく、リップクリームでもなく、
あの行為こそが人間劣化の象徴的なしぐさだとおもうのだ。
文明は人類の安心・快適・便利さのために
発展してきたが、そのおかげで
ニンゲンの大切な「モノ」が奪われてきた。
アルノルト・ゲーレンは
ネンテニィー(幼形成熟)たるニンゲンは
文明と制度によって支えられていると
説いたが、その文明や制度によって
危機的な認知能力、いわゆる防衛本能、
人類を滅亡からすくう、種族保存の本能、
もっとも基幹的な要素がすっかりニンゲンから
脱落してしまった。
そのもっとも象徴的装置がスマホである。
ヒトがつくったもっとも小型な
パソコンがスマートフォンである。
みな、依存的にスマホにたよって生きている。
そして、往来でそのスマホを見ながら
むかってくるトラックにも気づかずに歩いている。
感情の劣化はもとより、
人類の滅亡だってそう近い将来ではないかもしれない。
しかし、だれひとり、スマホを放棄、手放そうとは
おもっていないはずである。
だから、われわれは長い大きな坂道を
加速度をましながらなだれ落ちるようにくだって
いくのである。
植木等の歌ではないが
「わかっちゃいるけどやめられない」
である。