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誤用

 ラジオできょう聴いたことなのだが、

いま、ミネラルウォーターが流行っているらしい。

そのときのキリン広報部のひとのインタビューがじつに興味深かった。

「ミネラルウォーターの売り上げが

数倍上がっているというカテゴリーの中で云々」

 

 何気なく聞いていれば、紳士的で知性的な物言いに、

さぞ学歴のあるひとなのだろう、とおもってしまうところだが、

「カテゴリー」ってなんだい。

むつかしく言うと、範疇となる。

かんたんに言えば、部類・枠組みという意味である。

 

「ミネラルウォーターの売り上げが

数倍上がっているという枠組みの中で」と言ったら、

意味が通らないであろう。

つまり、単純な誤用なのである。

どうも、われわれは、外来語、あるいはカタカナ用語には、

ひどくコンプレックスがあるから、

こういった言語を使うと、恰好いいとおもいこんでしまいがちなのだ。

たぶん、キリン広報部のひとは、

じぶんの誤用にも気づかず、ナルシスの水仙の花を

じぶんの胸にいっぱい咲かせて、

うっとり気持ちよくなっているにちがいない。滑稽だ。

 

 このあいだ、教科書会社のひとが、

国語便覧の売り込みに来ていたのだが、

見開きの戦国時代の絵をわれわれに見せて、

どうですか、ここの絵などダイナミックになりまして、

と、解説しているのだ。ダイナミックとは、

邦訳すれば、流動的である。どの部分が流動的なのか、

かいもく見当もつかなかったので、

いよいよわたしの机のところまでその勧誘のひとが来て、

やはりおなじく、どうですか、ここの絵などダイナミックになりまして、

と言うから、あのさ、ダイナミックってどういう意味、

と訊いてみたのだ。と、え、えーと、とか言うだけで絶句してしまったのである。

な、わからないカタカナことばをそうやたらに濫用するから、

最後は赤っ恥をかくことになるのだよ。

 

 言葉遣いの誤用はいまにはじまったことではないが、

どうも気になってしかたないのは、

ファミリーレストランで注文をしたときの、

ウエイトレスの娘の応対である。

「ご注文は、ハンバーグとコーヒーでよろしかったでしょうか」

なんだよ、よろしかったでしょうか、というのは。

 

まず、文法的に言うと、丁寧語「でしょうか」は

常体にもどせば「だろうか」、「だろうか」から

疑問の助詞「か」推量の助動詞「う」をとりはずせば、

断定の「だ」が残る。つまり、ウエイトレスは「

ご注文は、ハンバーグとコーヒーでよろしかっただ」となるのである。

 

また、意味的に言うと、

「ハンバーグとコーヒーでよろしかったでしょうか」というのは、

副詞の「本当に」が脱落していると考えられるのだ。

つまり、女給はこう言っているのだ。

 

「ご注文は、本当にハンバーグとコーヒーでよろしかったでしょうか」

こう言われれば、平和主義者のわたしだって、黙ってはいられない。

  

え、じゃなんだい、あんたは、

わたしの注文がハンバーグとコーヒーでは

よくなかったとでも言うのかい、もっと注文しなきゃいけないのかい。

そもそも、あんたは、わたしの注文に対して

意見を述べるような立場にはいないのだろう。

それを、あんたにどうのこうのと指摘されたくはないわい。

と、怒鳴ってしまうかもしれないじゃないか。

 

ようするに、「よろしかったでしょうか」という言い方は、

ブスな女給に客の注文に対する善悪の判断を

させてしまっているという悲劇的な結果をもたらしているのである。

文法的にも意味的にも誤用をおかしている

ファミリーレストランの注文の場はわれわれに不愉快だけを残している。

 ある高校の校長の職員に対する注意の仕方はこうだった。

「受験生とのトラブルがないように、

注意をしていただければ幸いだとおもいます」

 幸いだ、というのはどういう意味だよ。

万障お繰り合わせの上、ご出席いただければ幸甚でございます、

の「幸甚」の意味で使ってんだろ。目下のものが目上のものに、

あるいは、立場の低いものが平身低頭、

お誘いもうしあげるばあいなどに「幸甚」は使用するのであって、

一家の長たる者が、その部下に対して

「幸いだ」なんて使ったら、愚の骨頂、大笑いだよ。

 

 ところで、さいきん、これも気になってしかたないのだが、

わかりました、と電話口で応対しているとき、

なぜなのだろう、「わっかりましたぁ」とちいさな「っ」、

専門的には促音という、をつけるひとがいる。

無法松の一生みたいに景気はいいが、ばかみたい。