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店舗案内

感謝のベクトル

 うちの街に一軒の焼鳥屋さんがあるのだが、

ここのオーナーは女性である。

すこぶる上品な方で、どうみても焼鳥屋の

主人とはおもえない風体なのだ。

だから、ここの焼き鳥もひどく上品、

備長炭であまり焦げ目をつけずに焼き上げる。

たれで注文すると、あからさまにいやな顔をし、

ほんとにたれですかぁ、

とわたしに逆に訊いてくる。

塩で食べるのがいちばんである、

という信念をもっているのだ。

とくに、この店のおすすめはレバーの刺身で、

白く輝いた刺身の新鮮さは、

まずほかでは食することはできない。

その刺身に醤油をつけて口に運ぶと、

口中さわやかな野の味がひろがり幸福になる。

 

 が、上等な鶏肉を使って、

それなりの自負とこだわりをもちながら

商売しているくせに、この女主人は、

親子丼を作るときにどうしてか、

タマネギを下に敷いて卵でとじているのだ。

わたしは、どうしても我慢がゆかず、おもわず言ってしまった。

 

 あのさ、鶏に自信があるんだろ、なんでタマネギ入れるのよ。

 あら、タマネギおいしいじゃない、もっと入れよう。

 あーあ、もっと入れちゃったよ。

親子丼はさ、鶏と卵と醤油だけで勝負してこそ、

プロっていうもんでしょうよ。

 

 うるさい客ね。いいんですよ、うちはうちですから。

 

と、あげく、開きなおってしまった。

ところで、わたしに向かって、

うるさい客って、失礼じゃないか。

 

 ともかく、それ以来、わたしが親子丼を注文しても、

きょうは終わっちゃいました。

と、言っていちどもわたしに

親子丼を出してくれなくなってしまったのである。

終わっちゃいましたって、

夕方の六時ごろだよ、まだ、なんにも始まらないうちに。

 このあいだなんか、

ひとりでカウンターに座って、

日本酒をちびちびやっていたら、

くしくも隣の青年が親子丼を注文したのだ。

と、女将は、わたしの注文と勘違いしたんだろう、

うちわで炭をおこしながら、

親子丼終わりましたよぉ、と言ってきた。

 

しかたないから、わたしは

俺じゃないよ、こちらの注文だよぉ。

と大声で教えてやったものだ。

なんでわたしが教えてやらなきゃならないんだ。

 ま、味は、そこそこいいので、

たまには店に通っているのだが、

いつも気になることがある。

それは、彼女が注文を受けたときに、

「はい、わかりました」と言うことだ。

かしこまりました、でも、ありがとうございます、

でもない、わかりました、なのである。

べつに気にしなかったらそれまでなのだが、

なにか、わたしは、この応対にひっかかるものがある。

なぜなのか、さいきんまでは、

あやふやなのであったが、昨日ふっと気づいてしまった。

 それは、こういうことだ。

 注文を受けるときに、「わかりました」と言う人は、

わたしの知るかぎりでは、

あとは、奥沢の回転寿司の板前だけである。

すいませーん、鰺ね。と注文すると、

「わかりましたぁ」と彼は言う。

彼は日本人ではないので、「わかりました」の

「り」と「し」あたりの発音が的確ではない。

つまり、わかりました、と受け答えをするのは、

東南アジア系の板前とタマネギおばばの二人ということになる。

 

 ちょっと話がそれるが、マクドナルドの商売のしかたである。

マクドナルドがまだセットメニューのなかったころの

店員のレシピには、お客がハンバーガーなどを注文したら、

すかさず、これは一秒以内らしい、ありがとうございましたぁ、

と大きな声で言うこと、と書いてあるそうだ。

ありがとうございました、と感謝の意を表された客のほとんどは、

ふっと気持ちよくなるんだそうだ。その一瞬の快感をねらって、

お飲物はいかがしましょうか、

と、これも一秒以内に尋ねると、

たいがいの客は、じゃ、コーラください、

などと反射的に言ってしまうらしいのだ。

これがマクドナルド商法なのだ。

マクドナルドには、巧みに心理学を応用した

おそろしい戦略が底流していたのである。

 

店にとっては、感謝、という意思表明がもっとも重要だ。

この精神構造は、すべて、かんたんなベクトル(方向性)で

証明がつく。感謝の意というのは、ベクトルで言えば、

自分から他者にむけての方向性である。

かしこまりました、とへりくだった場合も、

他者にむけての方向性がある。しかしながら、

わかりました、の場合は自分が了解したことの

意思表明であって、他者、つまりお客に対してのベクトルがない。

少なくとも感謝の意が、わかりました、にはないのである。

だから、お客が、なにかを注文したときに、

わかりました、と言われると、そこになにか

不自然な感情が去来するのは、まさにそこに原因があったのである。 

       

ありがとうございます。かしこまりました。

こういう一言を言うか、言わざるかで、

お客の心理というものは、すっかり気持ちよく、

店を出るのか、なんだか、

ぞんざいに抛り出されるような感覚で

店を出るのか、がらり変わってしまうものだったのだ。

 

 さいきんは、この店はあまり流行っていない。

焼き鳥屋の主人に、わたしの論理を説明してみようかと、

おもいもしたが、

いいんです、うちはうちですから、

 

そう言われるのがオチだから、やめておくことにした。