ひさしぶりに青木から携帯に連絡があった。
「これから実家によって、
そのあと、おまえんとこに寄るわ」
何年くらい会っていないのか、
すっかり忘れてしまったが、
年来の友人とは数年のブランクなどまったく関係ない。
その日は、釣りに行くことも、
運動することも、借りてきた映画もなくて、
まったりと暇な夜だったから、
わたしは二つ返事で彼の来るのを待った。
一時間くらいで、彼から連絡があったから、
わたしは環状七号線の馬込まで迎えに行った。
どうでもいいことだが、
ついに青木も携帯を持つ時代となったのだ。
運転技術もボトムだし、
世の趨勢からもいささか遅れているやつなのだが、
携帯を二つも所持している。
もうひとつどうでもいいことだが、
携帯電話のおかげで、待ち合わせがすこぶる
便利になったのはいうまでもない。
むかしなら、いちど外出したら、
お目当てとは、渋谷のハチ公の前、
午後二時、といったぐあいに空間・時間ともども
ピンポイントでしか接触できなかったのに、
いまじゃ、「どこ?」「じゃ、その薬屋の角、曲がってよ」なんて
幅広い待ち合わせが可能となった。ありがたや、ありがたや。
ひとむかし前には、ポケベルが流行った。
あれはちょっと面倒だった。*2*2と押してから、
変換表を参照して文を作成する。わたしは、
なにを勘違いしていたのか、いつも「?」が「へ」と変換されていたらしく、
「イツアエル?」とやらなくてはならないところ、
「イツアエルヘ」となっていたそうだ。
「シゴトオワッタヘ」「ナニシテルヘ」こんな感じだ。
友達作りも、携帯やポケベルからはじまっている。
「先生、ぼくポケベル買ったんです」
そんなやつがいた。
「ふーん」
「これがないと、友達できないんですよ」
「へぇ」
「でも、誰からもかかってこないんです」
じゃ、やっぱり友達できないんじゃないか。
わたしは、携帯で青木の所在を確認しようとした。
「ただいま電話にでられません、『ぴっ』と鳴ったら・・」
なんどかけても留守電に入る。
どうして人と待ち合わせの途中で
留守電にするのか、やっぱり青木らしい。
と、しばらくして向こうから電話がかかってきた。
「電話したか?」
「したよ、どこにいるんだ?」
「馬込第三小学校の前だ」
「わかったよ、そこ動くな」
わたしは車を小学校前にまわした。
文明の発達のおかげで、携帯の操作もままならないやつと
ポケベルの「?」の押せないやつは
環状七号線の馬込で合流できたのである。
「ひさしぶりだな」「ひさしぶり」
「どうだい景気は?」「悪いな」
車の中でさいしょに景気のはなしも
艶っぽくもなんともないが、
身につまされる目の前の問題なのだ。
「給料はどうだい?」
「上がってねぇな。ここ五年くらい上がってないぜ」
「でも、おまえ部長なんだろ」
「そうだよ、でも名前だけだぜ。おまえはどうなんだよ」
「おれか、だいたいこのくらい貰ってるな」
と、べつに隠すこともないから、アバウトな年収を青木に言ったら、
「やっぱり、先生はいいなあ」
と、青木はため息混じりで答えた。
彼の方が二百万くらい収入が低いのだ。
ま、低いといっても、青木家は子どもがひとりだし、
郊外の社宅に住んでいるから、
どちらが生活しやすいかは、いちがいにいえない。
車を車庫に戻してわれわれは地元のやき鳥屋に出向いた。
「あーら、いらっしゃい」
わたしの顔を見るなり近所づきあいの親しみのある女将の声。
「よく来るのか?」
「そうでもないけど、長くここに住んでいればみんな知り合いになるさ」
われわれは二三串注文して焼酎をちびちびやった。
「こんど、おれ引っ越すんだよ」
「へぇ」
「社宅さ、追い出されるんだ」
「不景気でか?」
「そう。取り壊すみたいなんだ」
「で、どうすんだ」
「買ったよ」
「自宅か?」
話をまとめれば、いまの住まいが吉祥寺であるが、
そこよりも北に、つまりもっと郊外に青木は
マンションを購入したのだ。
三十五年ローンで、返済は彼が八十五歳まで続く。
「目の前が多摩川で景色がいいぜ」
「それって水が出たら浸水するってことじゃないのか」
「いいや、このあいだの台風のときも調べに行ったけど大丈夫だった」
青木は、どんな逆境でも境遇でも、
そこで正の思考ができるにんげんだ。
武蔵野の方に引っ越したときも、家の前に産地直送があって、
新鮮な野菜がいつでも手にはいることを
自慢していたし、そういう処世術こそ彼の幸福論であるのだ。
「おまえ、ずいぶん薄くなったけどなあ」
かならず決まってわたしの頭髪の話になるのだ。
「このあいだ、同期会があったんだけどな、
おまえより薄いのいっぱいいたぜ。
おまえ、まだ頑張っているほうだよ」
と、わたしの頭をすりすりしてきた。
わたしは「ありがとよ」と軽くあいさつした。
軽くあいさつしたのは、喜んでいいのか、悪いのか、すこぶる迷うところだからである。
このあいだ、職場で、理科のM教員から、
「先生、毛のあるところから移植したらどうですか」
なんて言われた。どこでも、
かならず決まってわたしの頭髪の話になるのだ。
「陰嚢のうら側なんか移植にどうですか」
馬鹿にしたものだ、ひとごとだとおもって。
で、わたしはすぐに言い返した。
「だめですよ。冬に縮んで夏のびたりしちゃうじゃないですか」
青木はまだわたしの頭に視線をやりながら続けた。
「だいたい年にいっぺんずつ同期会やるんだけどさ、
こんどは松尾も田中さんも来てたよ。ケーシなんてつるっぱげだぜ」
「へぇ、それって、高校の同期会かあ」
「そうだよ」
「あれっ」
わたしはにわかに気づいてしまった。
おれもおんなじ高校じゃないか。