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言葉について その3

ロラン・バルトというひとは、言語を三つの層にわけて語りました。

 そのさいしょが「ラング」です。

もっとも近い意味の語では「国語」があります。

ラングは育った国の言語を、

選択する余地なく使っているものです。

だから、「われわれは日本語というラングを

母語にもっている」などと言います。

つぎの階層が「スティル」です。

作者のオリジナリティのことです。作者の好みですね。

「です、ます」で書くのか、

「である」にするのか。段落の立て方、

文の長さ、これは表現者の自由です。

選択のできる領域です。

つぎにもっとも下の層に

「エクリチュール」があります。

これは人生のセットとおもえばいいのですが、

自由に選択できる場所です。自由に選択といっても、

いちど選択してしまうと、

取り返しがつかないというか、

そのひとの「人となり」もそれに同調するという

事情も理解しないといけません。

つまり、力士のエクリチュールを採用してしまえば

「ごっつあんです」とばかり、

身体はでかくなるわ、よく食べるわ、

歩き方までかわるかもしれないからです。

やくざさんは、他人のくせに「おじき」とか

「兄弟よぉ」とか言っています。

あんなやくざのエクリチュールを使っていたら、

おのずグラサンはひつようだわ、

黒っぽい背広とシャツだわ、

あげくに歩き方もやくざさんになりますよね。

だから「ぼく」のエクリチュールと

「わし」のエクリチュール、

「おいどん」じゃ、人生かわってくるのです。

 川端康成の、ノーベル文学賞受賞のあいさつ

のタイトルが「美しい日本の私」でした。

え、とおもわれる方もいるでしょう。

文法的におかしくないかいって。

しかし、世界を代表する『雪国』の作者が、

文法を誤ることはないでしょう。

曲学阿世のわたしどもには、

「美しい日本の私」はラング領域の間違いと

おもいがちですが、きっと川端先生は、

これはスティル領域、わたしの好みの言い方ですよ、と

でもおっしゃるのではないでしょうか。

これが、ロラン・バルトの考量です。