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まくらことば

 電車の中刷り広告に奈良県のものがあった。

阿修羅像か、その絵の端に「あをによし」とある。

たった五文字の枕詞が白抜きで

印刷されているだけである。

枕詞というと意味がなくあることばをみちびくものだ、

と教えられているが、奈良時代、

つまり上代はいまよりもうすこし

意味を含有させていたそうだ。

「あをによし」は広辞苑によると、

表記は「青丹よし」。もともとの意味は塗りの色。

「よし」は間投助詞。

 

 ちなみに、枕詞は、初句か三句に

あらわれるひどく限定された用法なのであるが、

あの斉藤茂吉の

「のど赤きつばくらめふたつ梁にゐてたらちねの母は死にたまふなり」

が枕詞の位置としては稀有なのであり、

通常は「ひさかさのひかりのどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ」

と初句や三句にあるのがすわりがよい。(傍線筆者)

 

 私見ではあるが、枕詞の中でもとくに

「あをによし」には独特の語感があるように感じる。

この語は、奈良地方という漠然とした地域をさすのでなく、

もっと奥ふかく奈良を言い得ているんじゃないかと、

わたしはおもうのだ。

なぜなら、このコピーがひときわ朝の空間に

かがやいて見えたし、

車内に揺れているいちまいの阿修羅像を見るや、

わたしのおもいは奈良に馳せ、

大和三山の伝説、額田王のエピソード、

妻問い婚、若菜摘み、有馬皇子の悲話、

万葉集の歌々、あるいは、さまざまな挿話が去来したからである。

記号学でいう「含意(コノタシオン)」というやつだ。

 

ところで、いまを遡ること千二百年、

上代のにんげんのさまざまな営みも

ひとつの共通認識でむすばれていた。

それは「繁殖」である。

この時代に生きたひとびとの

正負さまざまな葛藤と懊悩は、

すべて「繁殖」するというきわめて素朴であるが、

すこぶる逞しい心的作用の所以なのであった。

 

 それにくらべ、現代人はどうか。出生率一・四〇あるかないか。

二・〇六だったか、そのくらいの率がないと、

日本人の人口は一日いちにち減り続けている計算だ。

 

 社会学的に見て、このまま減り続けると、

西暦二三〇〇年には、日本人は一人か二人になるらしい。

教室でその話をすると、

たいがいの生徒はびっくりしているが、

間の抜けたやつなんかは、

「じゃ先生、その最後の二人にがんばってもらえば

いいじゃないですか」なんて言う。

最後の二人が男性だったらどうすんだ。

 

 高度文明は人々をこのうえもなく

快適に便利にさせてきた。しかしながら、

それの代償として、にんげんの持つべき本能を

根こそぎうばい、しまいにはこの文明に

溶け込めずに離群索居しているひとびとを

産むことになる。防衛、種族保存、母性、

さまざまな本能はすでに退化し、

けっきょく文明は文明に参加できないものを生

産し続けるというアイロニーを具現化した。

 

 国の滅亡を防ぐには上代の「繁殖」をめざすのが急務だが、

そのまえにまずわれわれのなすべきことは、

高度文明の最高の目的を「不便」にすることではないか。

本能の回復のために。

 

 あをによし・・