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和泉式部

・薫る香によそふるよりはほととぎす

 聞かばやおなじ声やしたると

 

 和泉式部が敦道(あつみち)親王 (帥の宮) に

はじめて送った和歌。この歌がきっかけとなり、

ふたりの熱烈な恋が進行する。

発端は、式部が、恋人であり、

すでに亡くなった敦道の兄為尊(ためたか)親王を

偲んでいるころ、その弟宮から橘の花が届けられる。

橘の花と言えば、「五月待つ花たちばなの香をかげば

昔の人の袖の香ぞする」というあの

古今集の歌が下敷きにあり、

まだ「昔の人」つまり、お兄さんを慕っているのですか、

というメッセージをこめたのをとうぜん読み取った式部は、

「橘」をふまえながら「ほととぎす」という

道具でもって返したのである。 

 

道具立て、千七百年の歴史における

和歌の伝統的レトリックであるが、

このたくみな応酬が宮のこころを

くすぐらないはずはない。

もちろん「ほととぎす」はメタファとしての「

帥の宮」みずからであり、

道具に象徴性を持たせた初歩のレトリックで、

しかけとしては単純ではあるのだが。

 

ちなみに、このメタファの相手するものが、

「ほととぎす」=「帥の宮」のような直截な、

いわば円熟していないレトリックは古今集から

えんえん百年過ぎた和泉式部の時代にもみられるわけだが、

いよいよ道具に作者の心を投影する、

いわゆる心象風景の作品が登場するのは、

おおよそ、新古今集の時代を待たなくてはならない。

心象風景については、別項にゆだねるとして、

ともかくも国をあげて和歌を賞揚していた

王朝時代においても、

和泉式部という才媛は異色をはなっていたにちがいない。

 

 ・君をおきていづち行くらむ我だにも

  うき世の中をしひてこそふれ

 

 あなたをおいてあの娘はどこに行くというのでしょう。

私だってつらい世の中をようやく生きているというのに、

なんて宮に言う。

秘密裏に付き合っていた宮の恋人が地方に下るというので、

心にしみる一首を贈ろうとして、

式部に代作させたのだが、

その代作歌のついでに式部が宮に送った歌。

ま、いいきなもんだな。別れの手紙をべつの女に書かすなんて、

とおもうが、それはそれとして、

「しひてこそふれ」こんなこと言われれば、

なにを言うか、式部よ、俺がいるじゃないかとばかり、

 

 ・うちすてて旅ゆく人はさもあればあれ

  またなきものと君しおもはば

 

 と返事する。これは、もう宮にそんな歌しか

返させない状況を式部が用意しているのであり、

つまりは宮の歌、宮のメンタルまでをも、

すっかり導いているのである。

まるで、誘導灯をともした滑走路みたいにである。

歌の名人とは、秀歌を作り出すだけでなく、

他者をも導く筆力をもつものなのだろう。