2007年度版『現代万葉集』を見ている。
部立てに「旅」がある。むかしでいう
「羈旅」である。旅という非日常は旅愁も
あいまって詩的感興がわくのだろう。
・アイガーに見ほれつつゆく
ハイキングカウベルの音涼やかに沁む
(『同書』百七頁)
と、この雄大さを詠んだのは、
われわれの仲間の石井喜久江さん。
旅の歌は、その地名を出すだけで、
すでにひとつの世界が構築されてしまう。
それは、歌人にとってすこぶる安易な道なだけに
使い方にも慎重さが要求される。
平安朝の和歌にも、
地名を詠むものが多々ある。
そのおかげで、『平安和歌歌枕地名索引』
という至極立派な書物まである。
勅撰集からはじまり、
歌合、私家集におよぶ平安朝の歌をことごとく、
気の遠くなる作業で編纂した、地名索引である。
で、わたしは、その本の威力を拝借して、
当時、いったいどの地名が多く詠まれていたのか、調べてみた。
はたして、もっとも多く詠まれている地名は
「よしのやま」であった。
その歌数、三百四十八首、ダントツである。
( 二位は「すみよし」)
それに「みよしの」や「よしのがわ」などを
合算するとおおよそ五百首、存在している。
吉野山は、ご存知のとおり、
桜の名所として有名。もともと、
ここの桜は、蔵王権現のご神木であったらしい。
ただし、『万葉集』には吉野山を詠んだ歌と
桜の取り合わせはなく、
吉野山の桜が読まれた初出は『古今集』で、次の二首がある。
・みよしの野の山べにさける
さくら花雪かとのみぞあやまたれける
とものり
・こえぬまはよしのの山の
さくら花人づてにのみききわたるかな
つらゆき
紀友則は貫之の甥、
ふたりとも『古今集』撰者というあいだがら。
くしくも同趣の歌を残している。
もっとも、友則には
「ひさかたのひかりのどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ」
という名歌があるから、
桜にはなみなみならぬ想いがあったのだろう。
余談ではあるが、この二首のいずれかに
軍配をあげなくてはならぬなら、
どちらか。わたしは「つらゆき」を「勝ち」としたい。
「とものり」の歌の直截的な詠みかたに対し、
「つらゆき」の間接的な感動のしかたに
歌人の余裕を感じるのだ。
旧都奈良、吉野は、非生活圏という非日常性をもち、
また、宗教的峻厳さも兼ね備え、
ノスタルジィと美意識とを含有する、
歌には恰好の空間としてあったのだろう。
ところで、もし、現代版地名索引がなれば、
「アイガーに」の歌も選ばなくては。