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店舗案内

教員になろとしているひとに

公立高校に勤めたことがないので

わからないが、

私立高校ならそのへんの事情はある程度

話せることもある。

 

もちろん、生徒指導、校務分掌、担任、

生徒一人ひとりの成績処理と記録、部活動指導、

とさまざまな仕事をこなさないとならないので、

勤務時間などないようなものであることは

とうぜん覚悟しなくてはならないことだが、

私立高校は、教員の移動がないため、

何十年も、おんなじメンバーなのだ。

 

いちど、失敗して総スカンをくらえば、

何十年も総スカンをくうことになる。

 

わたしが最後に勤めた大和の高校は

三年生の卒業試験だけ、時間割とちがう日程だった

ため、各自の教員が教室に行って、時間をはかるよう

指示がだされた。つまり、校内チャイムは無視を

するということである。

 

で、時計をもっていない私は、しかたなく

携帯電話の時計機能で50分を計っていた。

 

と、あとで聞いたはなしだが、

あいつは試験監督中に携帯でゲームを

していたと言われていたらしい。

 

20数年つとめていた神奈川の学校では、

わたしは広報の仕事をひとりでまかされていた。

というより、そんなめんどうなことは

だれしもやりたがらないわけである。

 

学校案内からポスターまで

何十年とだれひとりの手伝いもなく

ひとりでやっていた。

 

写真屋さんから

スナップを借りて作るのだが、

その当時は、個人情報などという言葉はなく、

自由に生徒の写真を載せることができた。

 

校庭の池のまわりにバスケット部がにぎやかに

集まっている写真があつたから、

学校案内に載せたところ、

生徒指導部の部長先生から呼び出された。

 

「おい、このうしろのこいつ、

去年、停学をくらっているやつだ。

なんでそんなやつを載せたんだ」

と、お叱りの話。

 

「停学になっていることなど

知りませんし、もう去年のことなので

すでに済んだ話ではないのですか。

それてもエンエン彼は停学の生徒として

扱うんですか。島送りの刺青みたいに」

など、反論したとおもう。

 

「もう、いい、。あんたにはなにも言わん」

と、伊藤先生はそっぽをむかれたのだ。

 

停学になったことがある、なし、など、

わたしにはわかるわけがなく、

案内書ができるまで、だれも手伝わず、

出来てからそんなクレームを言われても

なすすべもない。

 

ひとりの先生がやすんだので、

わたしは、そのクラスの代講をたのまれて

4時間目に教室に行った。

その日は、じぶんの授業が4時間あって、

プラス1時間の補講だから5時間、教室に行かねばならなかった。

そのときの主任はミツハナというひとで、

かれは、その日、じぶんの授業は1時間だけである。

1時間しかないのに、若いわたしに補講を依頼したのだ。

で、やれやれとおもいながら

職員室をでるとき、ミツハナさんは

かつ丼を大口を開けて食べ始めていたのである。

 

これが私立高校の現場である。

 

不条理とか、理屈とか、正義とか、

あまりかんがえてはいけない場所なのだ。

 

2年生の補講に行ったとき、

ひとりの生徒が、ブルガリの、それも

日本ではみたことのない時計をしていたので、

よせばいいのにその生徒に聞いてみた。

「それブルガリだろ」

「そうです」

「めずらしいな。高かったろ」

「40万くらいですか、日本では売っていないです」

「そーか、しかし、だいじょうぶかよ、

そんな高価もの身に着けていて、身分不相応だなぁ」

と、わたしが言ったら、その生徒は

急に顔色をかえて「なにが身分だ」

と、席を立ち、わたしのところにむかって

走ってきて「身分なんて関係ないだろ」と

怒鳴りながら教室から出て行ってしまった。

 

あとから、また伊藤生徒指導部長に

呼ばれて「あんたが悪いよ。あいつは韓国籍なんだ。

韓国のやつに身分なんて言ったら、そりゃ起こるだろ」

と、わたしが100%悪いということで

その事件は幕を閉じた。

 

知るかよ、そいつの国籍なんか。

 

女子バレーボールのコーチをしていたとき、

つぎの日が東海大相模での公式戦があったのだが、

山口かおりというエースが、行かないという

連絡を生徒から聞いた。

 

だから、わたしは山口に携帯のメールで

「なぜ、行かないのか」と打ったら、

「負けるから」と。

「おれたちは6人しかいないから、

おまえが行かなかったら試合できないだろう」

「行きたくない」

「もう、登録もしているのだから、行かなくては

ならないだろう」

という、押し問答のようなことを何回か

して、けっきょく、「行きます」とは言わないまま、

その夜はおわった。

けっきょく、山口は東海大相模に来たけれど、

とうぜん、一回戦で負けるのだが、ま、来てくれたから

よかった。

 

東海大相模で、選手をならべて、

きょう、朝飯たべてないものは?

 と、わたしが聞くと「はーい」と手をあげたのは、

山口ひとりだった。

 

しかたないな、と、わたしはすぐコンビニに行って、

おにぎり2個と飲み物を買って山口に渡した。

「ほれ、520円な」

と、山口は「ありがとうございます」でもなく

「すみません」でもなく、たった一言「高っ」。

 

これが山口ひとみだ。

で、後日、山口の母親が校長室に来て、

なにやら話しているらしい。

事務委員のひとりがそれを伝えてくれた。

 

それから間もなく、わたしは

校長室に呼ばれた。

赤井校長は、

「バレー部降りてくれ。話はあとで聞く。以上だ」

と、わたしにはなにも弁解も話もさせずに

わたしは、校長室をあとにした。

 

あとでわかったことだが、

山口ひとみの母親はわたしから

セクハラメールをなんども送ってきたという

フェイクのクレームをしていたらしい。

 

それを真に受けた赤井は

真相もないまま、わたしをクビにしたのだ。

 

まだ、話はいくらでもある。

 

学校の生活など、そんなものである。

 

みんな仲良く、などとは縁遠いものなので、

これから、教員を目指す方は

じゅうぶん精神を鍛えてもらわないと

心が病んでしまうだろう。

 

なぜ、そんなことが起きるかと言えば、

その根本は、俺たち出来悪いよな、という潜在意識と、

それを認めたくない認知的斉合性とが

カオスに内在しているせいだとおもう。

 

教員のほとんどはバカなのである。