海外研修の引率をしたことがある。
三週間、アメリカでホームスティをするのだ。
わたしども教員も各家庭にはいり、
そのひとたちと三週間暮らさねばならない。
いまなら、エアー・ビー・アンド・ビーとか、
気軽にひとの家に泊まれる風潮だが、
まだ、わたしどもの世代は、
よそ様のうちに気軽に泊まることが
はばかれた時代である。
わたしは気乗りがしなかったが、
これも仕事なのでしぶしぶ行くことにした。
世話になったところは、ユタ州のちいさな街で、
ソルトレイクシティまで、車で50分くらいの
閑散としたところだった。
目の前の国道のはるかむこう、ティンパノーゴス山が
そびえている。たしか、オレムという街ではなかったか。
事件も三週間で
いちどレイプ事件が一件あっただけである。
ほとんどの家庭が鍵をかけていないで生活していた。
隣人宅からは、友人がはだしでよく来ていた。
ユタ州は、モルモン教の本拠地、
敬虔なクリスチャンの街であるから、
酒は飲めない、タバコはすえない、コーヒーもだめ、
という戒律の厳しいところであった。
避妊もだめときたから、家族はビッグファミリィ、
家族紹介をよくされたが、ほとんど、7、8人の大家族である。
パパを先頭に兄弟ずらり並んで
笑って立っているのだが、大きい兄ぃちゃんから
背丈がじゅんばんにちいさくなるから、
ちょうど木琴を上からみたような
感じだった。
引率で毎日、どこかに移動した。
しかし、うちの高校生ときたら、なにをかんがえているのか、
バスで移動するときも、みな、イヤホンで
日本の音楽を聴いている。
「おまえたち、せっかくアメリカに来たんだから、
アメリカの風を感じろ。風の歌を聴け。
風のにおいを嗅げ」
そういいたくなっていらいらしたが、がまんした。
大きなモールに着いて、バスから降りるとき、
「せんせい、トイレどこですか」
と、おれに訊く。
「あのな、おれもはじめてのとこだから、
どこにトイレがあるか、わかるわけねぇだろ」
と、だんだん語気が荒くなったものだ。
飯はすこぶるまずかった。
ファミリィのひとり息子が、肉を焼いてくれた。
「ビーフ、オア、チキン?」
と、訊くので「チキン、プリーズ」と言うと、
「オール、オア、ハーフ」と訊くから、
「ハーフ、プリーズ」
と、皮のついていない胸肉がどさっとおかれた。
むこうじゃ鶏の皮は食べないらしい。
鶏皮のぶつぶつが嫌いなのだろう。
あのぶつぶつが近くで見られないのじゃないか。
「チキン距離」で見られないのかもしれない。
で、そのしろいかたまりをナイフで切るのだが、
なんとも、紙粘土みたいな味である。
まったく、脂っけがない。
と、かれがわたしに訊いてきた。
「ジューシー?」
わたしは、椅子からころげそうになったが、
ここは、大和魂、日本男児のおべっかである。
「イエス!」
だから、たいがい、「お前、昼はなにがいい」と
訊かれると、「サラダ、プリーズ」と応えた。
「お前は、サラダが好きだな」と、もちろん、
英語で言われたが、サラダが好きなわけじゃなく、
ほかに食えるものがなかったからなのだ。
いちどだけ、
わたしが「ジャパニーズ・サンドイッチ」を
つくるといってママに食べさせたことがある。
しかし、彼女は、これ、わたしが作るのと
変わらないって言ったので、
このときは、わたしも英語で言っていたのだが、
「なにを申すか、日本人が作ったのだから、
ジャパニーズサンドイッチではないか」
なんて堂々と言ってのけたら、
すこぶるウケたみたいで、
パパが帰ってくるや、すぐ報告していた。
それにしても、ユタというところは、
砂漠のうえにできた街だから、とにかく乾燥している。
ひとから聞いていたが、Tシャツはいちまいで、
五日間くらい着られる、汗でないから、ということを
信じていなかったが、ほんとうにそのとおりで、
わたしは、一枚のTシャツで一週間すごすことができた。
机のうえにポテトチップを置いていても、
なんにちも湿気ないというのだから、
だいたい想像できよう。
気温は40℃くらいあるはずだった。
向こうの国では、摂氏ではなく
華氏をつかっているので、
いったいいま何度なのか、けっきょく
さっぱりわからずじまいだった。
アメリカで暮らすなら、
日本の温度計をもってゆくことをおすすめする。
あと、エプロンなるものは、向こうのママは使わないので、
おみやげにもっていっても喜ばれない。
それに、朝顔、あれはあの国では、
芝生を傷める雑草なので、
折り紙で、朝顔の花など折っていっても、
むしろ、眉をひそめられるのがオチである。
さて、その乾燥の話であるが、
そんな乾いた土地の、あのティンパノーゴスが
山火事になったのだ。
どうも中学生たちが火遊びをしていたのが
原因らしい。火はみるみる山をおおった。
ヘリコプターが、なにやら薬剤をまいているようだが、
火の勢いはとまらない。
太い柱のような黒煙があがり、ぬけるような青空は、
どんよりといちめん「にび色」の空にかわった。
火は数日間、燃え続け、
ついに朝から車はヘッドライトを
つけねばならないくらいの暗さとなった。
国道のむこうから、ゴジラが出てきても
ふしぎでないくらい、異様な空気がこのしずかな街に
たちこめていた。
人びとは口々にわたしにむかって、
人差し指を一本立てて「Bad!」と言った。
なんにんものひとが「Bad」と言った。
これが活きた英語というものである。
「Bad」という単語は「悪い」という意味ではないのだ。
「Bad」という語は、三日三晩山が燃え続け、
天までつきぬけるような蒼穹がすがたを消し、
重く薄暗い雲がいちめんたちこめ、
そこにゴジラが出できそうな、
そういう重々しい雰囲気を「Bad」
というのである。
わたしは、いちど、グァムに行って、
まだ存命だった母が、一階のバーで5ドルのおつりを
もらっていないと騒ぎだし、今日は寝られない、
なんていうものだから、
日本語のつうじないフロントに行って、
5ドルを返してもらう交渉をしたのだが、
フロントの女性も、なかなか「うん」と言ってくれない。
で、わたしは、最後に、
人差し指を立てて、「He is bad!」と言ったら、
「Oh!」とか言って、すぐ5ドル返してくれた。
なぜ、返してくれたかと言うと、
「Bad」という語の含意は、三日三晩山が燃え続け、
天までつきぬけるような蒼穹がすがたを消し、
重く薄暗い雲がいちめんたちこめ、
そこにゴジラが出できそうな、
そういう重々しい雰囲気があるからである。
それがフロントの女性の心をうごかしたのだろう。
海外研修も役にたつというものだ。
さて、三週間はあっというまに経ち、
わたしたちは、帰国の途に着く。
ながいエコノミークラスの機内で、
何本も映画を見せられた。
ミスタービーンを知ったのもこの機内でである。
同僚の出口先生が、映画を見終わった後、
わたしのほうを見ながら、
「出る?」
と冗談を言ったのが、
むやみにおかしてしばらくわたしは笑いが止まらなかった。
成田に着いたとき、
タラップを降りた瞬間、
もわっとした重ったるい空気が
わたしを包むのであった。
これが日本の空気なのだ。
まるで、ワカメを身にまとったような、
この不快感をどうしよう。
このとき、わたしは、
こんな海草をまとわりつけて一生おくるのか、
という悲しい諦念をかんじながら、
家にもどったのである。