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祇園精舎

 祇園精舎の鐘の声

 平家物語の冒頭は、だれしもがいちどは
口にしたくだりであろう。

 諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす


 この「盛者必衰の理」というところが
いかにも日本的なのである。


 それは、権力を掌握したものへの称賛でもなければ、
上意下達の社会システムでもない。

 滅びの美学である。

 
 権力を握ったものはかならず、
蕩尽されセロにむかうものだ、という
日本古来の価値観であり、
ちゃんと、そのとおりに権力の座から引きずり降ろされる
という宿命をたどっている。


 滅びの美学。


 それは、天空の城ラピュタにも妥当する。


 滅びの呪文、パズーとシータ、
このふたりが唱えた「バルス」。


 リュシータ・トエル・ウル・ラピュタ姫の城が
いままさに崩れ落ちてゆく。


 そして、そこにわれわれは美を見るのである。

 ラピュタの壊れつつ、さらに、またさらに
空のかなたにのぼってゆく、
ラストのシーンを見ながら、
われわれは共感するのだ。


 だから、
ブーフーウーの壊れないレンガの家をみても、
わたしたちは、そこに感情移入することはない。

 
 壊れてゆく、あるいは、かそけく消えゆくものに、
あわれさを感じ、おもむきを見るのである。

 いずれは破れる障子から漏れる陽のひかりに、
情緒を見出すのである。

 ステンドグラスのようなものを日本人は好まない。

 竹久夢二の描く、
すぐに風邪ひきそうな女性をわれわれは好み、
清田 彩(知らない?)みたいな美人だが
健康むきむきなひとには魅力を感じない、
というものではないだろうか。 


そんなかそけき、陰影礼賛的な日本が
このごろすこし変なのだ。

 
 このあいだ、全日本のサッカーが
7回も負けているオーストラリアに2-0で勝った。


 負けないじゃなぃか。


 バドミントンでは、奥原望が
インドの選手を倒して金メダルをとった。

 オリンピックでは高橋・松友ペアが金メダルだった。


 高梨沙羅は、無敵である。

 平野美宇もしかり。
 張本智和はまだ14歳である。


 リレーでは、アメリカにつづく2位だったり、
このあいだば銅メダルだった。

 羽生結弦はどこまで記録をのばすのか。

 内村航平、白井健三、なんか強すぎるぞ。

 ボクシングでも、現在11人の世界チャンピオンがいる。


 女子バレーでは、ブラジルに勝ったり、
セルビアにリベンジしたり。


 ラグビーでは南アフリカに勝つ。

 女子のサッカーも以前一位になった。


 このごろは、そうでもないが女子のマラソンも
強かった。

 おかしい。


 第二次世界大戦でドイツが降伏したとき、
ニューヨークタイムスは、挿し絵つきで、
この国は立派な国で、これからは、
ドイツとともにあゆんでゆこう、みたいな
文言があったそうであるが、
日本が無条件降伏すると、
ニューヨークタイムス紙に、
「この化け物はまだ生きている。
徹底的につぶさなければならない」
というような記事があったそうである。


 つまり、われわれは、
爆弾をいやってほど投下され、
民間人がさんざん殺され、
そして「徹底的につぶされなければならない」
国民なのである。

 
 勝ってはいけないのだ。


 負けて、負けて、夢二の描くような
よれよれの女性のようになって、
それでもしたたかに、奥歯をぎゅっと噛みしめ、
耐え抜いて生きてこそ、
日本人なのではないだろうか。


 負けて、負けて、おしんのように
雪の下からじっと春をまつ蕗の薹のように
しているのが日本人なのだ。


 あんなに欧米人に勝って、
欣喜雀躍、喜びまわってていいのだろうか。


 つまり、わたしが言いたのは、
いま、活躍しているアスリートたちは、
すでに日本人ではないのじゃないのか、
ということである。


 それはきっと、ものすごい下積みと、
はかりしれない努力の賜物なのだろうが、
そういうしかたこそ、すでに日本人としてカテゴライズ
されていないのじゃないかと、
わたしはおもってしまう。


 世界からターゲットにされて、その地位を照射され、
目標にされるより、こっそり、「すみません」って
生きてゆくのもなかなかオツではないかと、
おもうのだ。


 ちがうかな。


 そういうことからすれば、
スーパー王座、内山高志も、山中伸介も
王座を陥落した。

 うん、さすが。

 諸行無常のひびきをわきまえている。