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音楽時間

 「フタさんは、音楽時間を知らないのかい」

星野さんがそう言った。

きょうは、星野号で釣りに行くことになっていた。

時間を決めて、わたしは家の前に

多大な釣り道具を、露天商さながら置いて

かれを待っていた。

 

 

 が、時間になっても星野さんは来なかった。

約束の20分くらい遅れてかれは到着した。

たぶん、わたしが、軽く文句を言ったのだろう。

 新幹線など30秒遅れただけでも乗り遅れるわけで、

そういう世界にそだったわたしには3分時間がちがうことでも

ありえないことだったからだ。

 

 

しかし、そのとき、かれは、「音楽時間」のことを

悪ぶれることもなく、さらりと言ってのけたのだ。

 

 

 わたしは「音楽時間」なるものをまったく知らなかったのだが、

どうも、約束の前後30分くらいは

オン・タイムであることをそういうらしい。

 

 よく言えばアバウトである。悪く言えば杜撰だ。

 

 

 

(この話をすると星野さんの奥さんは苦笑いしていたけれど)

 

 

 

 星野さんの車はスウェーデンの名車であったが、

トランクの中は、「オキアミ」のにおいで充満していて

釣り好きのわたしでも、あれには閉口した。

 

 

 ふしぎなことに、盛夏でもエアコンはつけずに

窓をあけて運転するのだ。わたしの車で沼津にいくときは、

快適に23度に設定してゆくのだが、どういうわけか、

かれは、外気をとりこんで、車外の音とともに

運転する。なにしろ、ひとの車だから、それに

従うしかなかった。

 

 

 

 「かつや」という店で昼食をとって沼津にむかった。

 

 

 きょうは、星野さんの車だから、わたしが

昼をおごった。かれは、わたしの半分の量の

カツ丼を注文した。

 

 

 

 わたしが二人分を支払って駐車場にもどると、

どういうわけか、窓が閉められ、エアコンがついているではないか。

 

「昼をおごってもらうとエアコンがつくんです」

 

 

 あのとき、カーエアコンとは

そういう装置だったのかと了解した。

 

 

 わたしの車でゆくときは、わたしが

かれにガソリン代と高速代を請求する。

 

 

 

 当時のわたしの車はドイツの高級車だったから、

やたら燃費がわるく、沼津往復、4000円をおねがいした。

 

 

 

 かれは、いつもは3000円を請求したから、

1000円、超過料金ということになる。

 

 

 そのとき、かれは言下にこう言った。

「いいですよ、わたしの友達にはせこいひとはいません。

しかし、わたしは、友達でないひとともつきあっています」

 

 

 わたしは、心のはしっこで恥ずかしさを感じたものだった。

 

 

 

 お金にはシビアであったから、しかたない。

 

「おい、第三京浜の港北パーキングの天麩羅そば、

あれ、蕎麦と天麩羅をべつべつにたのむほうが

10円安いぞ」とわたしに教えてくれた。

「うん、それ知ってるし、やってる」

 

「なんだ、知ってたか」

 

 

 10円でも、だいじなことである。

 

 

 

 かれが、癌で亡くなって、もう10年いじょう経つ。

むこうでも呑気にやっているにちがいない。

ひょうひょうと気楽に、音楽時間のなかでね。

 

 

 

 (星野さんが病院から自宅にもどってきたときのわたしの短歌である)

 

・お父さんフタさんがきてくれたよだれでもそうだが一枚の布