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歌評 その1 

あなたには聴こえましたか微かなる火星に吹くかぜ北西のかぜ

 

 二句切れ。下の句が二句とも名詞止め。

下の句の名詞の羅列はいましめられる場合もあるが、

この作品は計算済み。

「あなた」とはだれなのか。おそらく不特定多数にむかっての

言い回しではないか。そして「聞こえる」ではなく「聴こえる」。

「聞く」と「聴く」とのあいだには意識、無意識の差がある。

もちろん「聴こえる」のほうが意識的動作である。

 

 火星に吹く、かそけき風の音を「あたなた」たちは

聴いているのでしょうか、という訴えがこの歌の中心である。

 

 この不特定多数(だとおもう)への叫びは、

火星という星の存在を理解しろ、という警鐘にもつながる。

なぜ「北西」なのかは、わたしには理解不能であるが、

作者にとっては地球とのかかわりとしての「北西」なのだろう。

 

 ようするにこの作品に底流しているのは、

「地球滅亡論」ではないかと推察する。

 

 

泉下のホーキング博士は、これだけ進んだ星は100年と持たないと

語ったのは、すでに80年くらい前のことである。

イギリスの天才理論物理学者の言説が正しければ、

あと数十年で地球はおわる。

 

じっさい、千葉の養老渓谷にはポールシフトの痕跡も

残っていることだし、いつ、またポールシフトがあるとも

かぎらない。極度の寒冷化が襲うかもしれない。

 

 オバマ政権が火星移住をこころみた、

といううわさもあるが、識者は地球の最期を

すでに見届けているのかもしれない。

 

 地球を捨てて移住するのなら

いまのところ火星以外にはないのである。

 

 火星には空気がないので風が吹くかどうか、

わたしには宇宙物理学の知見もないから

よくわからないが、この作品の「かぜ」が

メタファだとしても、火星にしか頼ることのできない

「かそけき」地球人がいる、ということなのだろうか。

 

・今朝のあめ弾む雨音春連れてさみどりいろの柳をゆらす

 

春雨のおだやかな風景である。「あめ」がひらいてあるのは、

「弾む雨音春連れ」までの漢字の羅列が気になったからだろう。

「弾む雨音」という見立ては作者のオリジナル。

また、「春連れて」も発見かもしれない。

 

ただ、「あめ」とあり「雨音」とあり、

重複はまぬがれない。そして「て」という助詞が

安易だったのではといううらみがのこる。

そして、「さみどりいろ」で下の句のはんぶんを

埋めているのはもったいない。色づかいは

作者の個性を封印してしまう虞があるからである。

 

素材が雨のなかのしっとりとした柳という

いかにも、墨絵のようなおもむきのある作品だけに

まだ、言葉がうごく可能性もあろう。

が、じっさい「ゆらす」のは「今朝のあめ」だろうが、

そうすると「弾む雨音」のすわりがよくない。

つまり、「春のあめ」という主語が「春を連れ」と

「ゆらす」という二つの述語をもつ構造なのだが、

「弾む雨音」の修飾関係がはっきりしなくなる。

 

・今朝からのはずむ雨おと春を連れああそうですねぇと柳がゆれる

 

なんか、コントのようで、

おそらくこの作者様には、こんな歌は「だめ」と

おっしゃるにちがいない。歌風が違うからだ。

だが、季節に応じた植物が能動的に動き出す、

という見立てもおもしろいのではないか。

こうすれば、「あめ」と「雨音」の重複はなくなり、

「て」という助詞は回避でき、「はずむ雨音」の修飾関係も

すっきりはする。つまり、(あくまで)文法的には

そのあたりを払拭したことは間違いないだろう。