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歌評 その2

・落ち椿散る山茶花と池に浮き鯉もゆるりと尾ひれが動く

 

「落ちざまにあぶを伏せたる椿つばきかな」漱石。

椿はぼとりと花ごと落花し、山茶花はほろりと。

が、花ごとに落花の様相はちがうが、

その花々が鯉のおよぐ池に浮いている。

下の句「鯉も」と「も」があることから、

「ゆらり」はおそらく椿や山茶花の落花にまで

かそけくも影響を及ぼすのであろう。

水面に浮かんでいる花がゆらりと揺れているのかもしれない。

 

だが、こういう「も」の使い方は「理」が混入するので

使い方には注意が必要だ。

短歌に、理屈を持ちだすのはリリカルさにマイナスだからだ。

 

読者は、この作品から、はたして、このゆらり泳ぐ

鯉とはいかなるものかと、おもいを馳せる。

 

テーマは下の句にあるのでとうぜんだ。

 

紅白・丹頂・昭和三色・黄金・金昭和・写りもの・銀松葉。

 

椿や山茶花の浮く池である。

やはり、錦鯉などではないだろうか。

野鯉では野暮である。

色彩感覚にうったえた作品だけに、黄金や金昭和の

鯉を想像する読者もおおいかとおもう。

 

われわれは、この作品から、このしずかな池の奥底に想いを馳せ、

色彩感覚よりも、

茫々たる時の感覚、

どれだけゆっくりと時間が過ぎてゆくのか、

尾ひれをゆらりと動かす鯉のしぐさから、

そんなシニフィエ領域を感じとることが

できるのである。

 

 

 

だが、そういうテーマであるなら、

椿の落花や山茶花の落花は、道具立てとして

やや煩雑にはなりはしないか、といううらみがのこる。

 

材料が豊富すぎるのである。

 

作者としては実景なのだろうが、

語りすぎているところ、膨らみ過ぎているところは

削ったらどうだろうか。

 

 

・水の面に山茶花、椿の花の落ち錦の尾ひれをゆらり動かす

 

「浮き」を「落ち」にする。

水面に落ちていれば、浮いていることになろう。

また「動く」を「動かす」にした。

すると、主語が「花」になる。

その花々が、まるで鯉の尾ひれを動かしたように

見えた、という見立てである。

 

助詞も「に」が一度、「の」が二度、「を」が一回と

重複もないから流れもいいようにおもう。

 

と、作者からラインが届く。

 

作者説によれば、椿の落花と山茶花の落花では、

その落ち方がちがう、その場面を詠みたかったそうである。

 

なんだよ、じゃ、鯉は?

 

それは、付け足しです。

 

(付け足しを下の句のテーマの部分に据えるな!)

 

という作者からの作歌状況がわかり、

なら、鯉いらないじゃんということになる。

 

落花の差異に焦点をあわせないとならなくなる。

 

では、それなら。

 

 

・池のおもて昨夜のままのしずけさに椿は落ちぬ山茶花もまた

 

「は」と「も」を意識的につかって、その落ち方を

言外に打ちこめたつもりである。

 

想像力のある方なら、この池には鯉も泳ぐだろうし、

静謐な時間が流れていることも感じてくれかもしれない。

 

ま、とにかく、一つの作品から二首できた、というオチである。