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いじめ

「君をなんでいじめたか知ってたか?」

 

ヤスイは唐突に訊いてきた。

 

「知らないさ」

 

東日本大震災のころである。

ボランティア活動に参加するというので

ハワイに住んでいたヤスイは

その準備のため

わざわざ地元にもどってきたのだ。

 

「実家があるんだろ、そこに泊まればいいじゃん」

と、わたしが言うと、

言下にヤスイが答えた。

「いや、おふくろに逢いたくないんだよ、

フタは知ってるだろ、うちのおふくろの性格。

まだ、一階のテーブルに出刃包丁の刺さった

跡が残っているんだぜ」

 

ということで、ヤスイはわが家の一階に

居候することになったのだ。ひと夏の約40日間、

かれは拙宅で過ごした。

 

ヤスイとは小学校からの級友である。

級友と言ったが、ほんとうに「友」であるのか、

いささか疑問ものこる。なぜなら、

そのころ、わたしはヤスイにさんざんいじめられていたからである。

 

イジメの対象は、わたしかター坊かミズだった。

 

ター坊とミズは、どちらも姉ひとりという二人姉弟の

家庭で、わたしだけは一人っ子だった。

 

なぜ、いじめるのか、叩かれたり、蹴飛ばされたり、

それが、問題になって、ター坊の家で、

ヤスイの母親とうちの母とター坊の母で

話し会いにもなったことがある。

 

ヤスイの母親は、気の強い人で、

謝罪などあるはずもなく、

次男のいじめにはまったく責任がない、

むしろ、いじられる方が悪い、というようなことを

言ったとおもうが、それまで、

仲良くしていたヤスイ家とは絶縁した。

 

 

 

「君が過保護だったからだよ」

 

「え。それでおれをいじめたのか」

 

「ああ、ター坊んちもミズの家も母親が

息子を可愛がっていただろう」

 

わたしは、40年以上前に起きた

いじめの原因を、いま知らされたのである。

 

たしかにわたしは過保護だった。

放課後、雨が降ったら、母は校門まで

傘をもってわたしを待っていてくれた。

 

ヤスイには、それが無性に気に喰わなかったらしい。

 

じぶんの母親とまったくちがうからである。

 

いまからおもえば、じぶんの母親が厳格であり、

他人の母親が子に甘いからといって

その子たちをいじめるというのは、

まったくもって

理不尽で身勝手、非道なことだとおもうが、

わたしは、かれの告白をすなおに聞いていたのである。

 

 

じっさい、わたしには、兄と姉がいたらしい。

 

兄は生まれてまもなく死んだ。

姉は死産だったそうだ。

 

三番目のわたしは、奇跡的に誕生し、

4000キロくらいで世に出て、

健康優良児として表彰されたくらいだ。

 

だから、父も母も喜んだし、

祖父も祖母もわたしをだいじにしてくれた。

 

そのためか、わたしの名前は父と母の一文字ずつを

与えられた。

 

ミズの家も、ミズがまだ年端も行かぬときに

オートバイ事故で父親を亡くしている。

 

 

小学生のヤスイには、そんな事情が

わかるはずもなく、ただ可愛がられている子を

忌避し憎んだのである。

 

が、40数年経ち、ヤスイはわたしと連絡し、

わたしの家に籠居、住んでいる。もちろん家賃などはない。

 

たぶん、ミズもター坊もわたしも

ヤスイのいじめには、もうどうでもよい話となっているのだろう。

 

時間というものは、

そんなふうにすべてを洗い流すのかもれしない。

 

 

 

さて、ボランティアが明日というときに、

ヤスイが言うには、ヘルメットがほしい。

それから底の厚い長靴。ほかにも何品か

足りないものがあった。

 

だから、わたしと妻で、その品物をすべて用意してやった。

 

ヘルメットは用意があったから、それを貸した。

長靴もわたしのである。

 

「だれがボランティアされているかわからないな」

と、わたしがからかうと、

ヤスイはすこし笑った。

 

すべて荷物をつめて明日は新宿から

ボランティアのバスが出る、という前日の夜である。

 

ヤスイは高熱をだして倒れた。

 

9度近い熱であった。

 

けっきょく、かれはボランティアには行かず、

かれの目的のほぼすべてはまったくかなえらずに

わたしたちの夏はおわった。

 

ヤスイは、礼を言うでもなくハワイにもどっていった。

 

ハワイは暖かくていいという。

 

「フタも死ぬときはハワイで死ねよ。骨、海に撒くだけだから」

 

たしかリズという巨漢の歌手の葬式も

海に撒いていた映像をわたしは思いだした。

 

ヤスイがもどってからずいぶん経つが、

はたして、かれの母親はまだ存命なのだろうか。

 

たとえ、亡くなっていても、テーブルのキズは

そのままだろう。

 

わたしの母がなくなって、もう15年くらい経つ。

そして、もし、かれの母親がいまも生きていようとも、

だからといって、

わたしはヤスイをいじめたりはけっしてしないつもりだ。