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文明の果て

 文明とはにんげんを過ごしやすく快適にするための

装置であったはずである。

 

 なにもない扇状地に家を築き、施設をつくり、

家庭でも夏でも腐らないための箱もの家電、

エアコンに水道、ガス、まったくもって

不便を感じないような、さわやかな暮らしを

わたしたちは得た。

 

 高度文明のおかげである。

 

 むかしは、ひととの待ち合わせでも

ひとり来なければ、たいへんなこととなり、

駅の伝言板などにメモはするのだが、

あんなものあてにもならなかった。

 

 いまじゃ携帯電話、スマートフォンで

「どこ?」なんてことですむ。

 

が、世界のスマートフォンでもっとも

普及しているのがiPhone6プラスだそうだ。

 

すでに技術のありがたみの飽和がはじまっているといってよい。

 

高度文明もゆくところまで来たのかもしれない。

 

こんな文明の恩恵にあずかるひとたちは、

じぶんから進んでなにかを求める、

ということに不得手になってきているのも

事実である。する必要がないからである。

 

 

「彷徨える河」というアマゾン奥地を舞台にした映画など、

いまだに未開で、文明も文化もろくすっぽあったものではない

そんな舞台である。

 

そうなると、ひとたちは、じぶんで

なにかをこさえて暮らさねばならない。

 

電気も水道もないからである。

 

火もおこさねばならない。

 

不便というものはひとを行動的にするものだ。

 

にんげん怠け者説という考量があるが、

アマゾン奥地では怠け者は死を意味する。

 

文化人類学者のレヴィストロースは

アフリカの原住民が、そのへんを歩きまわって

生活に必要なものをかき集め、

創意工夫で暮らしていることを調査し、

「ブリコラージュ」と名付けた。いわゆるアフリカの知性である。

 

ブリコラージュこそ

不便から生まれた生産力なのである。

 

 

 

快適さと便利さとすべてを享受できた

現代人は、ブリコラージュする必要もなく、

みずから、なにかを作り上げることもなく、

ただ、「あるもの」をその説明書通り、

レシピのままに使っていればよいのである。

 

 

文明とともに資本主義が世の中を席巻し

すべての価値観が一元化するなか、

われわれは、この世界から一歩も外へ歩もうと

しなくなってしまった。

 

未規定なものがあっても、それは、

むしろ「悪」なのである。

 

アマゾン奥地のひとたちもアフリカ原住民も

一歩そとにでれば未規定であり、

ぎゃくにそこが生活の場であった。

 

しかし、われわれは、未規定なものに

不安や恐れを抱くようになっている。

 

便利すぎた代償といってもよい。

 

文明の進んでいない時代は

まだ知らない世界にたいし、

誘惑され、すすんでその世界にはいってゆこうとした。

 

だから、アフリカを出たし、森をあとにしたのだ。

 

その原動力は好奇心だという。

 

現代人はこの好奇心が希釈してしまった。

いや、消失してしまったといってもよい。

 

文明が好奇心を破壊した。

 

べつに好奇心がなくてもまわりに

すべてがそろっているからいいではないか

つまり、そういうことだ。

 

そういう現代人は、じぶんの枠内で、

もっとも効率よく、もっとも有効に、

もっとも得をすること、

プラットフォームのなかでの最大限の利得を

めざすのだ。

 

 

それがコスパである。

 

 

いま、コスパにんげんで世の中あふれている。

 

 

しかし、わたしはおもう。

 

 

コスパにんげん、なんかみっともない。ダサい。