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虫が嫌い。産業構造改革

 いまのひとは虫を忌避する。

「きらい」だという。

 

 蚊、蝿、カナブン、トンボ、もちろんごきぶり。

 

すべてに怖がる。虫は自然界の生き物である。

自然界とは、現代人にとって、

もっとも身近な外界なのである。

 

外界とは、じぶんたちの生活圏からは遮断された

領域だから、自然の中に自然に生きている

生き物を嫌がる。

 

未規定の生き物だからである。

 

高度文明は、人びと、とくに子どもたちから

自然界を隔絶させた。

 

みずからの立ち位置、コクーンの中で生きていれば、

それでじゅうぶんであり、未規定の外界と接触する

必要はないのだ。

 

この狭いプラットフォームのなかで

最大限の利得をかんがえ、コスパ重視の生き方を

していれば、虫との親和などありえない。

 

あたえられたものを、説明書通りに

上手に使いこなすことがいまの子どもたちの

幸福論なのである。

 

子どもにおもちゃを渡すと

「これ、どうすればいいの」と訊く。

 

いや、べつに積み上げても放り投げてもいいんだが、

ちゃんとレシピがないと、それはおもちゃではない。

 

その子どもが大人になっても

その生活スタイルはかわらない。

 

依然と虫は「悪」なのである。

 

 

むかし、ナショナルという電機メーカーを飛び出した

男がいた。かれは、こんな大メーカーでは

イノベーションが発揮できないと起業する。

 

かれのかんがえたことは

「歩きながら音楽が聴ける装置」である。

 

 

それまでの音楽とは家庭かコンサートホールで

座りながらレコード針を落とすか、

正装して楽団の前に鎮座してありがたく拝聴するか、

そのいずれかであった。

 

が、かれは天下の大道で、

ダイナミックに音楽が、たったひとりで

交響曲第12番を聴けないか、という想像をした。

 

それが、ウォークマンになり、世界の

一流企業に発展してゆくのである。

 

ウォークマンはあっという間に世界に拡がり、

そして、気心の知れた仲間ととも

世界の冠たる会社に成長させていった。

 

そこにあつまるのは、一流大学の一流の学生である。

 

かれらは、ウォークマンの性能をあげ、

どんどんちいさいカタチにモデルチェンジさせ、

ついには、カセットテープでないウォークマンを

作り上げてゆく。

 

なにしろ、一流大学の一流の学生だから、

あたえられた命題には期待以上の成果をだしたことだろう。

 

が、企業した男が引退し、

そのブレーンも資本主義社会からリタイアした今、

この大企業に残っているエリートは

すべてが、イエスマンであり、

イノベーションのかけらも有していない人材である。

 

 

かりに、画期的な商品を生み出そうとする

若者がいても、それを却下する上司がいるのである。

その上司はすでにエリート階級、かつ、

なにも作り上げてこなかったひとで、

そのひとがその地位に座っているからである。

 

 

 

第二次世界大戦以前、日本の国民総生産、

いわゆるGNPは世界第六位であった。

 

なぜ、六位になったのかといえば、

ゴールドマンサックスなどによれば、

たんに人口が増えたから、だそうだ。

 

働き手の多い家庭の総収入は、

マスオさんひとりの稼ぎより多いという

自明の事情である。

 

それを当時のお歴々は大きな勘違いをしたという。

 

その成功体験の要因は、

ひとつに技術神話、ひとつに勤勉さ、

ひとつに集団主義、

そして、組織的忠誠心であると結論した。

 

その、思い違いがいま現在も継続しているのだ。

 

おかげで、世界トップ10の企業に8社

はいっていた数十年前の日本が、

いまや、トヨタの36位が最上位である。

 

インドに抜かれ、中国に抜かれ、韓国に抜かれ、

ウサギと亀の競争は、寝ているウサギの

美点をさがして、まだ、日本はすぐれていると、

そうおもいこんでいる企業のトップが大勢いるわけだ。

 

そんな世の中で、いまの大学生は

就職をしなくてはならない。

 

企業して成功すればいい。

 

それは火中の栗を拾うような冒険である。

生き死にをかけねばならない。

 

マクシミンという考量は、

いわゆるリスクマネージメントであり、

言われたことを従順にこなし、

愚痴を言わず、時間通りに出社し退社する、

というあぶなげのないかんがえかたである。

 

そのぎゃくに、一発あててやるぞ、

という思考を、マクシマックスという。

 

「おれ、ビッグになるからよ」と言って

卒業していったやつもたくさんいた。

が、わたしは、そいつらがビッグになった話を

いちども聞いたことがない。

 

だいたいは、火中の栗となって

燃え尽きてしまっているのだろう。

 

「your fire!」

 

 

わたしが、そんな話を大学三年生の塾の講師にすると、

かれは、深刻な表情で、

で、どうすればいいんですかねっと訊く。

 

うん、むつかしい話である。

 

偏差値の高い大学に通っているかれだから、

きっと大企業にも就職できるだろう。

 

が、その上司はきっと

想像力も包容力もないひとだろう。(これは偏見)

 

そして、その企業がいつまで存続するかわからない。

 

じゃ、起業するか、いや、そんな根性はない。

 

大間でマグロを釣る?

 

いままでしてきた学問はどうなる。

 

それでは、そのへんの街のちいさな会社に勤める?

 

せっかくの学歴をドブに捨てるのか。

 

いま、リクルートにはげむ学生の

ジレンマがわからないこともない。

 

きっと夢も好奇心も持ち合わせていないだろう

高学歴の学生はどうすればいいのだろう。

 

 

そんなとき、塾で数学を教える。

 

これは、そんな神経症の処方箋としては

最適なのだ。

 

塾で仕事しているときだけは、

そんな葛藤をかんがえずにすむからである。

 

つまり、かれらにとって仕事、バイトとは

じぶんから逃避できるゆいいつの時間と空間に

なっているのである。

 

カール・マルクスは仕事をすることによって

じぶんを知れ、ということを説いた。が、

いまの学生は、仕事をすることによって

みずからに知らないふりをするのである。

 

認知的斉合性をみずから生産しているといってもよい。

 

 

こういう負のスパイラルをどうすればいいのだろう。

こんな事況を従属矛盾ととらえれば、

その主要矛盾は、おそらく社会システム、

産業構造にあるのだから、産業構造改革が必定となる。

 

が、いまさら民主党みたいなことを

する政府はないだろう。

 

つまり、ゆっくり日本が沈んでゆくということに

なるわけだ。

 

でも、それではせっかく生を与えらた

とくに若者があまりに不幸である。

 

では、個別的になにをすることからはじめればいいのか。

 

未規定のものの世界にはいる練習が必要じゃないかな。

 

 

うん、まずは、野に出て虫を集め

友達になることからはじめるというのはいかが。