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店舗案内

正ちゃん帽

 やなか珈琲店に金曜日に行ったら、
すぐ、パートのキミ子(仮称)さんが
レジの下からビニール袋をわたしてくれた。

「これお忘れ物です」

 みると、手袋と正ちゃん帽である。
「正ちゃん帽」とは、
大正十二年、樺島勝一というひとの漫画
「正チャンの冒険」の主人公がかぶっていたところから
はやりだした毛糸の帽子で、ほんとうはてっぺんに
毛糸の玉がついているものをいう。

 今年の冬は格段に寒い気がする。
地球寒冷化のはじまりなのかもしれない。

 われわれはあんがい無自覚なのは、
この地球の絶滅の要因は、地球温暖化でもなく、
オゾン層の破壊でもなく、海の汚染でもなく、
巨大隕石の落下でもない。
 地球寒冷化とポールシフトのいずれかである。

 ポールシフトの証拠は千葉の養老渓谷の
地層にあるらしいから、すでに「あることはある」が
「それはいまじゃない」とたかをくくっている。
 うちの妻なんかは
「ポールシフトになると電気がつかえなくなるだって」
など、昭和の平和ボケのようなことを
平気で言っているが、ポールシフトによって、
南北が逆転するときに、地球上の空気は宇宙に放出されて、
酸素ゼロの状態がくるはずなのである。
 
 二、三年息を止めていられるひとがいれば、
それは助かるかもしれないが、ほとんどはお陀仏である。

 地球寒冷化は、まだもんだいにされていない。
が、マイナス55℃の冷気が地球全体を
覆う可能性もあるのである。
世界一寒いといわれている
オイミャコンの町のひとは、いつもマイナス55℃の中で
暮らしているから、その冷気が押し寄せても、
ただの風が吹いてきたくらいにしかおもわないだろうが、
これが、首都東京をおそったら、たちまち、
人口のことごとくが死滅することだろう。

 映画「デイ・アフター・トゥモロー」を
そのまま実地でゆくようなものである。

 冷凍マンモスが発見され、その胃袋のなかに
餌があったことからも、いちどは、この寒冷化によって
動植物の絶滅を地球は経験しているのだ。
餌のある状態での冷凍化は、
マンモスがいっしゅんにして凍ったとしか
かんがえられないからである。
 が、その寒冷化も「あることはある」が
「それはいまじゃない」とたかをくくっている。

 じっさい、そうなったときは、お陀仏だから
いたしかたない。

 と、諦念をむきだしにして、それでも、
わたしは、去年からか徐々に寒くなってゆく冬に
ついに正ちゃん帽というシロモノを購入したのだ。

 けっして似合うとはおもっていない。
顔の大きなにんげんは帽子が似合わない。
じぶんでじぶんのそのくらいのことは
わかっているつもりだ。
つまり、人生初の買い物である。

 小ちゃん帽でさいきん有名なのは、「突入せよあさま山荘事件」
という映画である。

 あそこで、役所広司演じる、佐々敦之が
雪の中の現場に出向くとき、かならずかぶっていた。

「局付きさん、ヘルメットしてください。
二機のみんなも、ヘルメットしない局付きさんを
心配してますよ」

「いいよ、おれはこの小ちゃん帽で」

「いえ、あしたはかならずヘルメットしてもらいます」

 1972年2月下旬、警視正佐々敦之は、
長野県のあさま山荘の連合赤軍の立てこもり事件の、
後藤田長官の特命をうけ、長野入りする。
 当時、佐々は、刑事局付き刑務局という前例のない
ポストにあった。だから「局付きさん」。

 わたしが、まさか、極寒の軽井沢の局付きさんとおんなじ
小ちゃん帽を買うはめになるとはおもいもしないことだったが、
なにしろ、自転車では、顔も耳もがまんならない。

 が、その小ちゃん帽も手袋も、どういうわけか、
わたしの部屋にも、となりの着替えの部屋にも
どこにもないのだ。それが火曜日である。

 こまった。

 しかし、ものがなくなる、というのは自室でも
よくあることで、これは、ややボケが生じているという
意識はあるので、ある程度は、「いつか出てくるだろう」という
なにか、神の啓示を待つようなおもいで、放置しておいた。

 が、水曜日にも、帽子も手袋もないので、
ついに、わたしは、鷺沼で仕事の前に、あたらしく小ちゃん帽を
購入したのだ。さすがに、これがなくては生きていられない。

 こんど購入した毛糸の帽子は、すこしきつくて、
ぬぐとおでこに、帽子の網目がのこった。

 が、寒さにはくらべられないので、わたしは
あたらしい帽子と、オートバイ用の手袋をして、
自転車で移動していた。

 が、金曜日、やなか珈琲店に行ってみたら、
わたしのさがしていた「お目当ての二品」があるではないか。


 ここにあったのか。

 キミ子さんが、
「寒いから、すぐに取りに戻られるとおもってました」というのだが、
そこに忘れたという意識も記憶もないので、
探し物の空間リストからは、すでに除外されていた。

 しかし、にんげんの記憶とか、あてにならないものである。
はたして、わたしは火曜日、やなか珈琲店で珈琲もらって、
手袋と正ちゃん帽をわすれて、よくこの寒空のなか、
自転車を漕いで帰宅したものだ、なぜか。

 それはいまもわからない。

 しかし、いま、わかっていることは、
我が家には、正ちゃん帽がふたつになった、
ということである。