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まじめに

 ひさしぶりに月曜日の夜に

時間がとれたので、外出することにする。

 

 友人をつれて、たまプラーザの陳麻婆豆腐にいく。

むかしは、お台場にもあって、

たまにそこに出かけていたが、

さいしょ、ここの麻婆豆腐を食べたときは、

ひどくショックだった。

 

 カルチャーショックというやつだ。

 

わたしは、そのとき、

世の中にこういう食べ物があったのですね、

という教示のような感覚を受けたのである。

 

 なにしろ、辛い。舌がしびれる。汗がでる。

が、これが「やみつき」になるのだ。

どうも、ラー油にそのへんの事情が

かくされているのではないかと、

さいきん気づいたしだいである。

 

 わたしは、なんども通っているうち、

中国の山椒、花椒を麻婆豆腐にも

ご飯にもたっぷりかけて、舌をびりびり

させながら食べるようになって、

しまいに四川の現地とおんなじ辛さの「辛口」を

たのむようになっていた。

 

 辛さというものは、しだいに慣れるものなのだ。

 

 で、わたしは、この独特の味を再現するべく、

じぶんでも、試行錯誤をくりかえし、味をおもいだし、

おもいだし、作ってみた。

 

 そして、さいごにたどりついたのが、

ピーシェン豆板醤であった。この豆板醤をつかわないと、

あの陳さんの味にちかづけなかったのだ。

 

 だから、わたしは、友人の大門亭のイワイさんにも、

このピーシェン豆板醤をすすめて、かれもいまそれを

つかって、麻婆豆腐を定食でだしているが、

このあいだ、試食したら、なにを食べても

おいしいものをつくらない大門亭さんらしく、

ひどく、まずいものにしあがっていた。しかたねぇなぁ。

 

 わたしは、ひき肉とねぎではなく、ひき肉とにんにくの芽で

「陳麻婆豆腐もどき」を作って、たまに、

店でもお出しするが、なかなか、本場、陳さんの味に似ていて、

じぶんでも、うまいんじゃないかっていうものが、

いまはできている。

 

 

 お台場の店がなくなって、

しばらくわたしは、陳麻婆豆腐に出会う機会が

なかったのだが、ネットでしらべれば、

たまプラーザにあるじゃないか。

 

 だから、わたしの麻婆豆腐の師である。

その店に行こうとおもったのである。

 

 休日だから、たまプラーザ東急店は

いささか混んでいた。とくに、となりの

石川県から魚が届くすし屋は、

美登里寿司なみの行列だった。

 

 陳麻婆豆腐は、比較的すいていて

すぐに着席でき、わたしどもは、友人がセット、

わたしは、単品をたのんだ。

 

 で、待つこと、数分。

わたしのお手本が届けられた。

 

 ん。

 

 ひき肉がはいっていない。

ねぎも、あ、すこしあるか。

ひき肉、あ、すこしあるか。

つまり、この麻婆豆腐は、赤いつゆのなかに

ざんぎりの豆腐だけがしろいちいさなどんぶりに

見えているシロモノなのだ。

 

 さて、ひとくち。

 

あれ、おれの作っている麻婆豆腐とは、

はるかにちがう料理だぞ。

 

 ん?  これ1380円。

 

よく麻婆豆腐を作っているものからいわせてもらうと、

この料理、高く見積もっても150円くらいで作れるものである。

 

飲食にかんして言えば同業であるから、

けっして悪口をいうものでもないし、

ぼったくり、とは言わないし、まずい、とも言わない。

 

言い換えれば、ちょっと高いし、おいしいとは言いづらい、

ということである。

 

 わたしどもは、この赤いスープのようなものに、

花椒をがりがりいれて、完食はしたのである。

 

 じぶんの舌がおぼえているものと、

現実がこれほど乖離しているものも

あるのだなぁ、とつくづくおもいつつ、

車を出した。

 

 じっさい、家賃も高いのだろうし、

従業員もたくさんいたから、そのぶんを

出すためには、こういうような料理にしなくては

ならなかったのだろう、と温厚なきもちでそうおもった。

 

まじめに作れば、あんなものじゃない、ともおもった。

 

 「なんか、とろみもなかったな」

 

 「片栗粉、いれわすれたんじゃない?」

 

「うーん」

 

でも、ここで、陳さんへの悪口雑言はご法度、

わたしは、話をそらした。

 

「このあいだ、風呂で寝ちゃったよ」

 

「あぶないよ」

 

「そう、飲みすぎて、そのまま朝まで風呂で

寝ていた」

 

「死ぬよ。老人の孤独死になるからね」

 

「そうだな、ウォッカをボトル半分飲んで、

風呂に入ったからな」

 

「酒のんで風呂にはいっちゃだめだよ」

 

「うん、酒量も多くなってきているしな」

 

「気をつけなよ」

 

「そうね、酒がおおくなって酒量民族、なんてね」

 

「・・・まじめにひとが言っているのに」

 

 そう、まじめに生きなければね。