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似顔絵

 図工の成績はいつも5段階で「4」だった。

 すこぶる上質なわけでもないし、
かといって、ひどく下手くそでもない。
「4」というなんとも煮えくり返らない、
 中途半端な成績というのは、なんだか
人生をふり返ってみて
「じぶんそのもの」のような気もして、
あまりうれしいとはおもえない。

 いいなら、いい。だめならだめ、というのが
潔いではないか。
「そこそこね」というスタンスは、
簡単に言えば、かっこよくない。

 小学校のとき、画用紙いちめんに一色の色を塗って、
その塗られたところに、レンコンだとかピーマンだとか、
家から持ってきた野菜で判子のように模様をつくる
という授業があった。

 わたしは、紺色でべたべたと塗り、
乾くのをまった。が、絵の具を塗りたくったものだから、
けっきょく画用紙は、その時間内には、まったく乾かず、
べたーとおもい紙となったまま、
ただ、いちめん青色一色の作品だけが残ったのだ。

 下校のとき、わたしは、まだ乾かない
青色の紙と、朝、母に用意してもらった、
ビニールにはいったさまざまな半分に切った野菜を
手にぶらさげて帰っていったのだ。半べそかきながら。
 
 こういうのを文字どおり中途半端というのだ。
 
 ただ、むかしから似顔絵はよく描いていた。
美術の先生にみせたわけでもないから、
成績としていったいいくつつくのかわからないし、
はたしてどれだけのものか、
もちろん、似顔絵教室にいって学んだことなど
もうとうない。

 いちど、同僚の美術の先生の絵を描いて、
それをご本人見せたことがあったが、
そのときは「おれ、こんな顔してるんだな」と
ぼそりと言っていた。

 それは、わたしの絵をいちおうは、
認めているからなのだろうと
そのときはおもった。

 大学時代、半沢くんという、
ちょっと赤ら顔の、どちらかというと、
ホモサピンエスというより、
猿人にちかい男がいた。
猿人というのは失礼かもしれないから、
換言すれば、どこぞの山の上で木の実を
食べている動物に近似している男がいた。

 で、わたしはその半沢くんの顔を
小さな紙に描いて、みなに見せた。

 そうしたら、大うけ。

「あ、半沢だ」「これ、半沢くんじゃない」

 鉛筆でさっさと描いた後、わたしはほっぺたを
赤ボールペンですこし色をつけたものだから、
二色の半沢くんができあがったのである。

 と、性格の悪いやつがいて、
その絵をこともあろうに半沢に見せたのである。

で、半沢くん、言下にこう言ったそうだ。
「なんだサルじゃないか」


 わたしが結婚をするころは、
まだインターネットも普及していない時代だし、
写メなんて便利なものはなかった。

 カメラを写真機といっても
笑われない時代だった。

 わたしの両親が、これから結婚する女性の家に
あいさつに行くというので、
両親は羽田から、徳島空港にむかった。

 ところが、むこうのご両親を父母は知らないのだ。
そして、むこうのご両親の写真さえない。
徳島空港では、お二人でまっていてくれるというのだが、
なにしろ、顔がわからない。

 そこで、わたしは、父に一枚の似顔絵を描いて、
こんなひとがいるはずだからと、
義父になろうとしいている顔を
おもいだし、おもいだし描いた。

 もちろん、わたしの似顔絵の
所要時間は三分いないである。

 似顔絵は、三分いないにだいたい描ける。
ウルトラマンが戦っているあいだには、
終わっているのだ。

 で、父は、わたしの描いた紙、
一枚をにぎりしめ羽田を飛び立った。


 はたして、徳島空港に着き、
あたりを見回したそうだ。

「あ、いた」