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しのぶさん

小学校の六年間に

なんにんも転校生がきたり、

引越しでいなくなったり、

移動がさかんで、

わたしの通っている学校が

まだ全学年二クラスずつあったころである。

 

たしか、五年生の二学期になったとき、

彼女は転校してきた。

 

鈴木しのぶ(仮名)さん。

 

スレンダーでやけに頭でっかちで、

宮崎駿の女の子のようなショートカットで、

目がすこし離れていて鼻は低く、

口元はまっすぐ横にひろがって、

美人、というタイプとはすこしちがい、

利発という感じの子であった。

 

いつも灰色のハイソックスを履いている

そんなイメージだ。

 

なにしろ、五十年まではいかないが、

そのくらい前の記憶をたどっているから、

ほとんどバイアスでできあがった

鈴木しのぶさんである。

 

わたしは、彼女には、なんのおもいもなく、

いつも、砧クリーニングのサチコの

背中にロケット蝶をいれたりと、

そんないじめをしながら生活していた。

 

さて、最高学年の半年が

すぎたころのバス遠足のときである。

 

帰りのバスで、バスガイドさんのマイクをまわしながら、

わたしどもは、

アカペラで歌いあっていたのだが、

そのマイクが、しのぶさんにまわったとき、

わたしは、はじめて人が恋するとはこういうことか、

といういっしゅんを味わったのだ。

 

彼女は「ドナドナ」を歌い始めた。

 

♪ある晴れた 昼下がり・・

 

 

あまりの美声と歌のうまさにわたしは震えた。

頭の芯の部分からなにかが沸きあがってきて、

脳がいっしゅんにして浄化されたような気がしたのだ。

歌がひとの心を揺らすという経験は、

あれから半世紀、まだない。

 

そのときから、わたしは

鈴木しのぶさんのことをおもうようになった。

 

それまでは、ただの放送部に入部した

転校生だったのだが。

 

卒業集会で、鈴木しのぶさんは、

ピンキーとキラーズの「忘れられないわ~」

という歌を、その他の女子をひきつれ歌った。

そのとりまきはだれか、覚えていない。

 

彼女の歌声を聴いたのは

人生で二回きりである

 

しかし、十二歳という年齢は、

それいじょうのことはできずに、

なにも言えずに、なにもせずに、

わたしたちは卒業した。

 

 

つまり、こういう状況をむつかしくいうと、

「片思い」という。

 

もちろん、鈴木しのぶは

わたしのことなど眼中にもなかったはずだ。

 

そして、わたしは父親の転勤にともない、

小田原にゆくことになる。

 

その中学校は、男子生徒がすべて

坊主刈りという、

マキャベリズムの権化のような校則に遵法し、

まだ柔らかだったわたしの細い黒髪を

バリカンですべて削り落とした。

いわゆる五分刈りというやつだ。

 

 

そして、中学になってすぐ

小学校のクラスの同窓会があった。

 

みな、それぞれちがう中学に入学したから、

もういちど会おうという趣旨だったとおもう。

 

わたしは、小田原から電車でひとり、

大岡山にむかった。

 

そして、三階のもと六年一組の教室にはいると、

ミズもデカパンも砧クリーニングのサチコもいた。

と、ひとつ机のむこうに、鈴木しのぶはいた。

 

わたしと目が合うや、彼女は指をさして

笑い出したのだ。横にひらくおおきな口を

おしげもなく開いて。

 

坊主刈りがおもしろかったのだろう。

 

わたしは、つまり「さらしもの」になったのだ。

そして、同窓会では、彼女とは、

なにひとつしゃべらずわたしは小田原にもどった。

 

彼女とはそれきりあっていない。

 

いちど、電話で声を聞いたことがあったから、

声の調子はしっている。

 

いま、彼女は大きな病院の小児科医として

活躍している。お子達もなんにんかいるらしい。

そして、電話で聞いたところでは、

コーラス部にはいっているそうだ。

 

 

さて、その鈴木しのぶ先生であるが、

来週の水曜日にひょんなことから

会えることになった。

 

彼女の親友のミエコさんが鎌倉で会うそうなので、

そこに一時間程度、参加できるらしい。

 

半世紀ぶりの再会である。

 

わたしには、楽しみな時間であるが

しのぶさんには、なんの感慨もないかもしれない。

 

小学校の同級生、というカテゴリーだろうから。

 

ただ、すこし不安なのは、

わたしの黒髪は、すでに灰色に変色し、

そのほとんどは、この世に存在しない。

簡単にいえば、「は」からはじまる二字でも

いえるのだが、じぶんからは宣言しないつもりだ。

 

ようするに、中学一年のときのあの最後の出会いと、

いまと、髪型はそんなにかわっていない、

ということなのである。

 

また、しのぶさんは、わたしを見て、

指をさして大笑いするのだろうか。