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返金

 私立高校に通っている生徒さん、男子と女子だが、
「せんせい、古典がわからないんですけれど」と、
わたしに訊いてきた。

そのふたりは、わたしの現代文の授業を
取っているものの、古文は受講していない。

「漢文はもっとわからないです」

と、口をそろえて言う。

「学校の授業ってさ、文法をおぼえて、
品詞分解とかして、全訳しているの?」
と、わたしが訊くと、

「ま、そんなとこです」と男子が答えた。

「ああ、それじゃ、じぶんでは解けないな」

「え、どうすればいいんですか」

「まあ、そうね、授業取るしかないかな」

「せんせいのですか}


「うーん。そうなるな」

と、ふたりは苦笑いなのか、
すこし困った表情をみせた。


おそらく、授業料の問題なのだとおもった。

受験には、とうぜんながら、金銭がからむ。


いつまでもあるとおもうな親の金。


ちなみに、親としてけっして
言ってはいけないことは、ふたつある。

「お前には金がかかっている。と、友だちがわるい」
である。

口幅ったいことだが、わたしは、
この二点を三人の子どもに言ったことはない。

もうひとつ付け加えれば
「勉強しろ」も言ったことがない。


これは、わたしの矜持するところのものである。


「あのね、いま東大に受かるのも、
そのひとの実力というより、親の年収にかかっている、
そういってもいい時代なんだよね。
これ、言いにくいことなんだけれども、
ほとんど事実にちかいことなんだな」


「ああ、そうなんですか」
と、おんなじ高校に通っている
男女はさっきとおんなじような表情で聞いている。


そもそも、学校の授業というのは、
目の前にある教科書の内容を伝え、
それを定期的に試験をし、
できれば、試験は、
平均点が60点前後になるように作成し、
あとから、成績という数字に還元させればいい
場である。

授業は、
教科書で教えるのではなく、教科書を教えている
現場なのだ。


だから、生徒は、試験がおわれば、
その情報はさっさとデリートし、
一夜漬けのエネルギーをゲームにむけたりする。

なにひとつ身についてない、という生徒もいるだろう。

たとえば、
「而」を「置き字」と教えて、平気でいる教師がいるかぎり、
漢文の受験は失敗するだろう。


つまり、いまの世の中は、
学校の勉強だけでは、受験に成功しないのだ。


構造的に、
だれか、受験の専門家に一年くっついて
そのノウハウを学ばなければ受からないしくみに
なっているのである。


受験生、ひとりでは無理なのだ。

このしくみは、産業構造改革をしないかぎり、
エンエン続くようにおもわれる。


東大に受かるのは、
実力より、親の年収、という図式は、
もうすでにはじまっているのである。



うちの街は、優秀な学生をかかえる街である。

東大のつぎにむつかしいといわれる、
東京工業大学が駅のむこうに、でーんと
構えている。


ほとんどの学生が良家の子女である。

なぜなら、親がいいからである、たぶん。


きのう、はじめてうちに来店してきた
学生さん、ふたりが席についた。
おそらく東工大生なのだろう。


「麺なんかは、ふつうでいいです」
と、ひとりの学生がいった。


ふつうでいいです、という言いかたを
わたしはされたことがないので、おそらく、
これは、「家系」の頼み方の影響かとおもわれた。

固め、油多め、濃いめ、とか、いちいち
注文をとるのが「家系」のやり方である。


ふたりは、ラーメンの並盛りと普通盛りの
食券を購入してすわっている。


と、いちばん隅で昼から
ビールとウィスキーをちびちび飲んでいる、
常連のOさんが

「学生ってうるさいねぇ」と大きな声で話された。

店内は、Oさんと、その学生さんふたりと、
あと、ひとりと、がらんとした雰囲気だった。


「四人でよくしゃべるよなぁ。女みたいに」
と、Oさんが言うので、わたしも相槌をうちながら、
麺を茹でている。


「なにか、話したいことがあるんでしょう。
四人で来られると、並ばないと座ってくれないです。
ひとりだけ、べつの席ってわけにいかないのね」
と、わたしが言うと、

「ひとりじゃ、なにもできないんだよ」
と、Oさんが言った。


「ま、そうなんですかね」と、わたしが言うと、
いま、来たふたりは、カウンターから身を乗り出して、
「すみません。金かえしてもらえますか」

「はい?」

「あのお客さん、むかつくんで帰ります」
と、わたしに言った。


「あ、そーですか」
と、わたしは言った。いやな予感が的中した。

わたしは、かれらに返金すると、
学生さんたちはそのまま店をあとにした。


筋をとおせば、
食券を買い、店は料理をつくりはじめたときから、
資本主義的な契約は成立しているので、
そのあと、店の不手際がないかぎり、
返金する必要はない。

ほかのお客さんがいやだから、
金返せというのは、店にとっては失礼であり、
法律的にも遵守しているとはおもえない。


タクシーに乗って、おまえの運転がいやだから、
ここで降りるから、金は払わない、
と、そんなに変わらないような気がする。

が、わたしも、Oさんに同調したかもしれないので、
ここは穏便にことをすませたのである。


しかし、大人の言うことに、即座に反応して、
返金をもとめ、店をでる。


気概にあふれたなかなかの青年じゃないか。

むかついたら、じぶんの意思をとおす。

それは、それで立派である、とわたしはおもう。

そして、ふたりでさっさと店をでる。

でも、ひとりだったら、かれらは返金をもとめて
店を出ただろうか。


「ひとりではなにもできない」
いまもOさんの言ったことばが頭をはなれない。