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宿題

昔から、宿題がきらいだった。

小学校から高校にゆくまで、
提出した宿題は、夏の創意工夫の
工作と、作文くらいで、あとの宿題は、
できるかぎりネグレクトしてきたのだ。

よくぞ、それで各学校を卒業できたものだと、
じぶんでじふんに感心するのだが、
いやなものはやらない主義は
いまも変わりない。

 

 

高校時代の古典の宿題で、
助動詞の一覧表を二回書写せよ、
という課題がだされた。

あんなクソ面白くないもの
書く気にならないし、あんな表を
書いたところで、助動詞が
覚えられるはずはないとおもった。

 

ただ、文法書に載っているものを
そのまま書き写してなんの
得になろうか。

それなら、まだ般若心経の写経のほうが
いくぶん功徳があるというものだ。

そして、その宿題を放置しておいたら、
寺久保先生から、呼び出された。

 

これを書いてこないと
進級できないと脅された。

 

しかたなく、わたしは、友だちの
その提出済みで「寺久保」というハンコの
押されている助動詞のレポート用紙を
もらって、「寺久保」という、そこだけ手でちぎり、
先生に提出した。

 

寺久保先生も、わたしの
この悪行をじゅうじゅうご理解
していたとおもうが、
「こいつには、これいじょう
何を言ってもしかたない」というような
困った顔をしながら、「寺久保」という
ハンコを押してもらった。

 

 

だいたい、先生という商売は、
宿題をだしたがるもので、
とくに、夏の宿題というと、
パブロフの犬のように「読書感想文」やら、
工作やら、「自由研究」やらを課する。

 

 

たしかに、自由研究は、子どもの
想像力や独創力を養うのに
最適とおもうが、ほとんどは、
その親の力量にかかっているのではないか。

 

 

子どもが自由研究をするのではなく、
親が自由研究のネタをさがし、
子どもが、それをなぞる、
という図式がどこの家庭でも
見られるのではないだろうか。

それは、換言すれば、
親の自由と子どもの不自由の
あいまった、ぎこちない宿題、
と言えそうである。

 

 

わたしが、世の先生にもうしあげたいことは、
宿題を出してもかまわないし、
どんどん課してもらいたい、ということである。

 

 

が、しかし、その宿題は、書写とか、
おんなじ字を何回書きなさいとか、
そういうルーティーンではなく、
想像力を駆り立てるようなもの、
そういう宿題を出してほしいのである。

 

 

わたしが中学一年生のとき、
三年生のちょっと不良な桐山先輩と
いつもいっしょに行動していた。

 

大雨のふるなか、学校帰り、
大粒の雨がたたきつけるなか、
U字溝に、子猫が流されてきた。

かそけき声で猫が上を向きながら
鳴いている。

 

わたしはおもわず、流されてゆく猫を
拾い上げようしたとき、桐山さんは、
「やめろ、触るな」
と言った。


「なんで? かわいそうじゃない」
と、わたしが言うと、
「お前、この猫を一生飼うつもりあるのか」
「え、いや、ありません」
「だろ、なら、触るな」
と、桐山さんは言った。

 

先輩の言うことにはさからえず、
わたしは、その猫を見捨てた。

 

さて、このとき、わたしはどうすればよかったのか。
この答えは、じつはいまもわからずじまいなのだが、
拾ってあげて、そばに置いてあげる、
なんていう無責的な答えはNGとして、
あなたなら、どうするのがもっとも
正しいことなのでしょう。

人の道とはなんなのでしょう。

 

何文字でもいいので、このときの
あなたならどうします、あるいは、

にんげんとして正しいのはどういう態度ですか、

を書きなさい。

たとえば、こういう宿題をだす。

 

ひょっとすると、こういう難問を
与えられた子どもは、
机にすわって、何時間も考えることに
なるやもしれない。

 

あるいは、古典の助動詞の表なら、

助動詞の接続の仕方をもっともわかりやすく

覚えられる表をつくりなさい、

なんて宿題が出れば、わたしは

もしかするとうきうきしてそれを考えたかもしれない。

 ともかく、

答えがでなくてもいいのである。
何時間もひとつの問題を
考える、という行為こそ、
想像力や倫理観をまなぶ絶好の機会だと
おもうのだ。

 

いまの世の中、なんでも
ググって答えがでる、そんな世の中に、
子どもの独創性とか将来性がはたして
あるのだろうか。

 

ほんとうのにんげんの底にある、
優しさとか人間性とか道徳律とか、
そういうものを揺り動かす
宿題をだしてもらいたいとわたしはおもう。

 

小学校6年生の夏の宿題。

 

毎日のドリルがあった。
わたしは、とうぜんゼロである。
なにも書いていない。

 

母から「ちょっと、あんた、

宿題ないって言ったけど、ミズクチさんに訊いたら、

あるっていうじゃない。だいじょうぶなの?」と
言われた。

 

「ん。だいじょうぶ、だいじょうぶ」
と、わたしは応えたが、
ちっともだいじょうぶではなかった。

 

やむをえず、簡単にできそうなところだけ、
しゃっしゃって3ページくらい書いて、
あとはしかたないので、ヤマトノリで
すべてを張り付けてしまった。

当時はピットみたいなノリはなかったので、
ヤマトノリという白濁したどろどろのを
塗りたくったのだ。

 

9月に入ってこの宿題を提出したが、
いつわたしは山際先生から、烈火のこどく
どなられるのか、びくびくしていたのだが、
10月になっても、先生はわたしを
叱らなかった。

 

山際先生は、わたしどもの宿題を見ていなかったのか、
あるいは、あいつにはもうなにを言っても
仕方ないとおもったのか、
いまとなってはわからないままなのである。