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リチャード・ローティ

文章の存在理由とはなにか、

ということに義務教育期間は無自覚である。

いや、高校時代や最高学府たる大学・大学院でも、

こういう事情には無頓着になっているのが現状である。

 

 

言論の自由ということばがあるが、

この自由には、それと同量の義務がなくてはならない。

そもそも、日本国憲法は義務より権利の領域が

多く語られていると主張するのは、

ちょっと前の時のひと、石原慎太郎氏であった。

ここに主要矛盾があって、つまりは、

権利ばかり主張するあまり、その義務を怠るひとが増え、

モラルハザードという従属矛盾をうむらしい。

 

 

ノブレスオブリュージュとは、

社会的地位に達したものが、

それなりの社会的責務を負うことをいう。

そのノブレスオブリュージュについても、

学校教育ではネグレクトされてきた。

ようするに、倫理的に貧困になっても、

それを自覚したり告発したりする機会も場も

与えられてこなかったということである。

 

 

文章の存在理由もそういう間隙をぬって

闇のなかに放置されてきたのだから、

いまさら、ネット上で、どんな書き込みをしても、

それを咎められることもないし、

ネット上のいじめも、ずいぶん多くあると聞いている。

それは、いたしかたないことと

わたしはおもっている。

 

 

なぜなら、教育されてきていないからである。

 

簡単に言えば、文章の存在理由とは、

ひとをすっかり感心させたり、

いい気持ちにさせること、それにつきる。

 

暴走族の落書きをみて、イライラすることはあっても、

あれにうっとりするひとはいないだろう。

『〇〇参上」とか、これは文章ではないからである。

しかし、よくぞ当て字はたいしたものだと

感心もするが。

 

 

ITインフラという語があるが、

これは、パソコンやサーバーなどの各種ハードウェア、

インターネットやLANなどのネットワーク、

データベースやOSのことをさすのだが、

それよりも、snsにおける言語倫理のほうが

優先されてもいい用語におもうのだ。

 

 

ツィッターは、たしかに「つぶやき」だから、

そこになにをどう書いても、かまわないはずだ、

とおもうひとがいる。

 

そのおもいこそ、誤解であり、主要矛盾はそこに

ねむっている。

なにを書いてもいい、ということではない。

ツィッターであれ、Facebookであれ、

あれは、文章である。

 

文章を書くなら、

ノブレスオブリュージュをもって、

ひとを感心させたり、気持ちよくさせるもので

なくてはならない、とわたし断言する。

 

 

「婆娑羅で隣にしま坂のジジィが

座ったんだけど麺なし(野菜のみ)

頼んでクソ笑った」

と、書かれた。べつに腹が立つわけではない。

 

たしかに「ジジィ」なんだろうし、

麺なしを注文したことも事実である。

しかし、わたしはこのツィートを読み、

腹が立つより、ひどくがっかりしたのである。

わたしのことを「しま坂のジジィ」というかぎり、

うちに来店された方だろうし、

きっと会えばいいやつなのだろう。

就活では、リクルートスーツに身をかため、

人事部のひとに最敬礼もするのだろう。

受験勉強では勝ち組のエリートのはずである。

 

 

が、なんでこんな心のざらざらしたものを

書くのか。いったい、教育とはなんだったのか。

唾を吐くような文章は、文章ではない。

学生にノブレスオブリージュを求めるのは、

早計かもしれないが、もうそろそろ

気づきたまえよ、と、わたしは言いたくなったのだ。

 

 

 

で、その残念さのあまりに、わたしはこうつぶやいた。

 

「ひとをバカにするのに『クソ笑った』なんていう

青年もいる。そういう輩は、友が受験に落ちても

クソ笑うだろうし、老人が階段から転げても

クソ笑うのだろう。最高学府に学ぶ者なら

上質に生きたらいいのに」と。

 

と、どういうわけか、これが24リツイート、17のイイネ。

ツィートアクティブティ、インプレッションが4.618

にもなってしまった。

 

 

若い方がこのわたしの文章をどうとらえたか、

さだかではないが、なんらかのおもうことが

あったのかもしれない。

 

 

ようするに、わたしがもうしあげたいのは、

ひどく簡単にいえば、

わたしたちは、形而上的なネット社会において、

エチケットをまもって生きていこうよ、

ということである。

 

そんな話を、世話になっている常連さんに

話したら、「またぁ、そんな子どもみたいに反論してさ」

と、笑われた。

 

そーか、子どもじみているのか、

そりゃそうだ。そういう感情の教育や

ITインフラの教えを

わたしも受けていないからな。

 

リチャードローティでも学ぶかな。

教育不足だった。

 

ちくしょう、クソ笑われたよ。