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店舗案内

恥ずかしくはない

 マリが来店する。

 飛騨高山在住。
それでも、しょっちゅう東京に来ているのだが、
わたしのところにはまず来ることはなかった。

 短歌の仲間、あるいは弟子、
あるいはすでに巣立って結社のひとり、
となっている彼女だが、
なにか、よほど案に難渋していたのか、
わたしのところに来たのだった。

 エッセイか、評論を依頼されたらしいが、
わたしの知るところは彼女に伝えた。

「な。おれ、痩せたろ?」

「ん。そーだね。どうして?」

「炭水化物抜いてるんだよ。
それから揚げ物も9月から食べていない」

 マリは、九、十、十一と指で折って、
「おう、もう半年か、えらいな」
と言う。
「でもな、わたしの先生は、わたしが
炭水化物抜こうかって言ったら、
それはよしたほうがいいと言ってたな」
と付け加えた。

「そう? でも、50過ぎたら炭水化物は
いらないっていう説もあるんだぜ」

「ま、いろんなこという人おるから、
まぁ、揚げ物はいらんわな。でも、
炭水化物の糖は脳にゆく栄養になって、
とくにお米からの糖は、消化がよくて、
いちばんええんやって。
これ、抜いてしまうと、正常な思考回路が
動かなくなってしまうよ」

「そう? ということはさ、おれ、
正常な思考をしてないってこと?」

「ひょっとすると、そうやな」

「じゃ、道徳的なこととかさ、恥ずかしいこととかさ、
それがわからないってことかよ」

「そうなるかもしれんな」

「ところでさ、お前の腕さ、おれより太いんじゃないの」

「うん? ええんやって。これでもうちな、
モテるんやって。これいじょう痩せたら、
もっとモテるやろ。いらないんよ」
と、半分冗談なのか、本気か、
よくわからないが、彼女はそう答えた。

マリはたしかにスレンダーではない。
ネイビーブルーのワンピースにスニーカーという、
ちょっとおかしいんじゃないのって
コスチュームで、彼女はわたしの店に来た。


だいたい歌人というものは、
すこぶるかわったひとが多いものである。
行く川のながれからはみだしたひとの集合体と
いっても過言ではない。


彼女は、店のはじまる前から、
店のおわる2時過ぎまでカウンターで、
オノマトペにかかわる記事をネットで調べ、
「おぅ、これなら書けそうになったわ」と、
すごすごと店をあとにした。

今夕、高山に帰るという。



金曜日は、駅向こうのラーメン店のM氏と、
スーパーに行く日である。

かれが車を出してくれるので、
それに便乗するのである。

毎週、火曜日と金曜日はそれが日課となっている。

ほとんどが、かれの店の繁盛している話を
わたしが聞き役となっているのだが、
いつも乗せてもらっている弱みから、
ふんふん、スゴイですねと、
申し上げているのが通常である。


「おれ、ベルトの穴、四つ減りましたよ」

「ほぅ、エライね。どうしたの」
とM氏。

「ほら、あなたが言ったとおり、
炭水化物を9月から抜いて、それに揚げ物、
やめたんですよ」

「そう。ほんとにエライね。おれは、食べちゃうんだよな」

たしかに、M氏は、ビール樽のような体型である。
膝や肩がひどく痛むと言っていた。


「体重もおそらく15キロちかく落ちたよ」

「ふーん、なに食べてるんだよ」

「ああ、キャベツとか、あ、夜はたまに蕎麦食べている」

「蕎麦とか、黒いものはいいんだよ、食べても」

「そう、そうあなたからいわれたから、そうしてますよ。
でも、蕎麦といっても、天麩羅とか食べられないから、
いつも、かけ蕎麦ですよ」

「ほぅ、エライね」

「え。なにがエライの?」

「普通さ、かけ蕎麦って恥ずかしくって頼めないからよ」