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ラ変の話

 高校時代、よく「ラ変動詞」とかいって、
「あり・をり・はべり・いまそかり」なんて暗唱したものだ。

 正式には、ラ行変格活用動詞という。

語尾が「り」でおわるので、
動詞じゃないという学者もいる。
「あり」の対義語が「ない」という形容詞。

形容詞と動詞が対義語なんてやはりおかしい。

「あり」と「なし」の共通項は「イ語尾」であること、
これも動詞としてはめずらしい。


ラ変動詞は、「あり・をり・はべり・いまそかり」の4語
なんて教わったものだから、ほとんどのひとは、

4語と おもっているが、じっさいは、
「かかり・しかり・さり」なんてラ変もあるし、
「持たり」なんてのもある。

 
 ラ変動詞はすくなくとも8語はあるのだ。

 わたしが、大学、大学院と文法、いわゆる国語学に
ついて学んだのが、鎌田先生。3年間、師のもとで学んだ。

 中世の専門だった。おしゃれな方で、いつもエナメルの靴だった。
低い声でゆっくりと語られた。


 中世という時代区分は、鎌倉から室町あたりまで、
いっしょに日蓮上人の直筆を見に、千葉鴨川まで
お供したこともある。


 「ラ変は、平家物語のころにはなくなってますね」
と、師は言った。

 へぇー、ラ変動詞はそんなにはやく消滅してるのか、
学生のわたしはびっくりしたものだ。

 蒲田先生の先生は、今泉忠義という、
日本を代表する国語学者で、

鎌田先生はその一番弟子である。

 ということは、わたしは今泉忠義の孫弟子に
あたるわけだが、今泉先生の影響はゼロである。


 今泉先生の有名なところは「悪筆」。
弟子でも解読に2年かかるという。

 が、どういうわけか、鎌田先生も今泉先生と
そっくりの字を書かれると、院の先輩からおそわっていた。

 なるほど、黒板に書かれる字は、
達筆といえばそうだし、めちゃくちゃといえば、
それもあたっていた。

 手紙も「ありがたう」とか「ござゐます」と、
旧字でなさる。


 今泉先生の葬儀のとき、
「今泉忠義儀葬儀会場」と、鎌田先生の筆であった。

 それをみて、弟子たちは感心したという。

 「さすが、今泉先生、ご自身で書かれている」


 その鎌田先生も泉下の方となり、
いま、わたしは、だれに文法を教わればいいのか、
ほんとうに困ったときは、困るしかないわけである。


 「象は鼻が長い」の主語は「象」でもあるし「鼻」でもある。

これが日本語の、おおらかなところでもあるし、
あいまいなところでもある。

 通常は「象」を総主語、「鼻」を主語としている。

「象は鼻が、が主語じゃないですか」と、
鎌田先生は、低くゆっくりした声でおっしゃっていた。


 いまも、塾で生徒に文法をおしえている。
たまに、教材で「平家物語」もある。


 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。



 あれ、「響きあり」


 これ、ラ変じゃん。